2013年07月17日「孫文 『対駐広州湘軍的演説』」および
2014年07月22日「孫文の『天下為公』」より続き。
孫文は10(満8)才からハワイに行くまでの3年間、故郷の塾で伝統的な教育を受けた。内容は「四書五経」。「第1章 広東の田舎育ち」、9頁。記述は陳錫祺編『孫中山年譜長編』また羅家倫編『国父年譜増訂本』に基づくとある。
そこで『孫中山年譜長編』と『国父年譜増訂本』とを見てみることにする。
先ず『孫中山年譜長編』上(中華書局出版 1991年8月)。『三字経』『千字文』『幼学故事瓊林』および「四書五経の選読ほか」を習ったとある(「1875(清光緒元年 乙亥)九歳」条、18頁)。意味を説明せずに暗誦だけを強いる教師に抵抗して内容の解説を求めたが拒否され、なんとか自分で探ろうとしたとある。出典は『孫中山的家庭出身和早期事跡』および『孫中山先生在翠亨』『孫逸仙伝記』45-47頁。
次に『國父年譜』上(中華民國各界紀念國父百年誕辰籌備委員会 1965年11月)。増訂本は入手できなかった。「民國紀元前四十年―清同治十一年,壬申(西暦一八七二年)」条に、「初めて『三字経』と『千字文』とを学び、瞬く間に暗記するも、内容が解らないことに非常に不満を感じる」との記述あり(13頁、七才になっている。出典は林百克『孫逸仙伝記』と羅香林『国父家世源流考』38頁に引く妙清老姑太の談話)。そして「民國紀元前三十七年―清光緒元年,乙亥(西暦一八七五年)」条に、「四書五経を学ぶ」とある。同書16頁、出典は同じく羅香林『国父家世源流考』38頁に引く妙清老姑太の談話と、広東省文献館等三団体主弁『国父文物展覧会特刊』(1946年)中の解説文である。さらに、「民國紀元前三十四年―清光緒四年,戊寅(西暦一八七八年)先生十三歳」条に、「四書五経を畢える」とある。ここの出典は『総理年譜長編初稿』。
小結。彼は『尚書』を含む四書五経の古典教育を中国で受け、原典を原語で読んでいる。しかしその内容と逐語的な意味をきちんと理解していたかについては疑念が残る。
(岩波書店 2014年4月)
2014年07月22日「孫文の『天下為公』」より続き。
孫文は10(満8)才からハワイに行くまでの3年間、故郷の塾で伝統的な教育を受けた。内容は「四書五経」。「第1章 広東の田舎育ち」、9頁。記述は陳錫祺編『孫中山年譜長編』また羅家倫編『国父年譜増訂本』に基づくとある。
そこで『孫中山年譜長編』と『国父年譜増訂本』とを見てみることにする。
先ず『孫中山年譜長編』上(中華書局出版 1991年8月)。『三字経』『千字文』『幼学故事瓊林』および「四書五経の選読ほか」を習ったとある(「1875(清光緒元年 乙亥)九歳」条、18頁)。意味を説明せずに暗誦だけを強いる教師に抵抗して内容の解説を求めたが拒否され、なんとか自分で探ろうとしたとある。出典は『孫中山的家庭出身和早期事跡』および『孫中山先生在翠亨』『孫逸仙伝記』45-47頁。
次に『國父年譜』上(中華民國各界紀念國父百年誕辰籌備委員会 1965年11月)。増訂本は入手できなかった。「民國紀元前四十年―清同治十一年,壬申(西暦一八七二年)」条に、「初めて『三字経』と『千字文』とを学び、瞬く間に暗記するも、内容が解らないことに非常に不満を感じる」との記述あり(13頁、七才になっている。出典は林百克『孫逸仙伝記』と羅香林『国父家世源流考』38頁に引く妙清老姑太の談話)。そして「民國紀元前三十七年―清光緒元年,乙亥(西暦一八七五年)」条に、「四書五経を学ぶ」とある。同書16頁、出典は同じく羅香林『国父家世源流考』38頁に引く妙清老姑太の談話と、広東省文献館等三団体主弁『国父文物展覧会特刊』(1946年)中の解説文である。さらに、「民國紀元前三十四年―清光緒四年,戊寅(西暦一八七八年)先生十三歳」条に、「四書五経を畢える」とある。ここの出典は『総理年譜長編初稿』。
小結。彼は『尚書』を含む四書五経の古典教育を中国で受け、原典を原語で読んでいる。しかしその内容と逐語的な意味をきちんと理解していたかについては疑念が残る。
(岩波書店 2014年4月)