書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小嶋政雄 「春秋の暦法に就いての試論」

2014年02月03日 | 東洋史
 『大東文化大学紀要 人文科学』20、1983年3月、101-118頁。

 春秋の拠っている四分暦法は、中国独自に開発されたものではない。西紀前三〇〇年前後に東漸したと推せられる、西欧のカリポス暦法によって、遡上改装したものである。春秋の暦法が周正か夏正かは千古不決の難問と云われるが、私は夏正に拠ると思う。 (101頁)

 冒頭、著者が全篇の論旨と結論とを簡潔に述べている。これがそうである。
 著者はちょうど論文の真中辺りでいまいちど、それまでの論旨を整理要約し、次いで後半部の論旨を予め指し示す。

 こゝに不思議に感ずるのは、年及び月は十進法に拠っているのに、紀日は干支による六十進法を採っていることである。春秋は一種の編年体の史書である。編年体の史書を残すような当時の史官は、数に就ては特に敏感であったと想像するのであるが、殊更に繁雑不便な干支紀日法を採ったのはこれ亦不思議である。一応考えられるのは詩書の干支を単なる紀日用のものと考え、それを春秋に流用したこと、或は後世西欧の暦法は移植された事があって、その際西紀前七世紀頃から次第に発達してきたバビロニヤの六十進法による占星術も移入され、その影響によって干支紀日が採用されたのではないかと云うことである。この考は両者ともに単なる仮定に過ぎないが、殊に後者は春秋の暦法が、戦国時代の中葉に渡来した西欧の暦法によって、出来上ったと云う仮定に立って始めて可能な発想である。実はこれを主張したいのが私の本音である。 (109頁)

 その手際よさと明晰さ、20頁に満たない、いわば小論文とはいえ、章分けすることなく最初から最後までを息切れも停頓もなく着実ながら一気呵成に論じ下すその見事さとあわせて、ひたすら驚嘆するほかはない。