書籍之海 漂流記

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ウィキペディア「授時暦」項の奇妙な表現

2014年02月23日 | 東洋史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%88%E6%99%82%E6%9A%A6
 そこでは、「モンゴル帝国(元)の時代になると、西方のイスラム・アラビア世界の科学技術が本格的に中国に流入するようになり、アラビア天文学の影響を受けて精密な天体観測が行われるようになったためであるとも言われる」と、どういうわけかひどく曖昧ないいまわしが見える。なぜだろうと、手持ちの関係資料を調べてみた。
 杜石然ほか編著『中国科学技術史』下(川原秀城ほか訳、東京大学出版会1993年3月)には、アラビア天文学の影響について全く言及がない。授時暦は中国伝統天文学の達成として書かれている(第7章の8「天文学の発展の高峰と著名な科学者の郭守敬」)。
 また、藪内清『中国の科学文明』(岩波書店1970/8)では、天体観測のために天文台が設けられたのは明らかにイスラム天文学の影響であり、使用された機器のいくつかはイスラムのものを模倣しているが、暦法としては授時暦は純然たる伝統中国のそれであって、「イスラム天文学の影響はまったく認められない」と断言されている(「Ⅴ イスラム文明との交渉」)。
 『元史』『新元史』の郭守敬伝、また「天文志」では、郭守敬による授時暦作成の事実と授時暦の内容をしるすのみで、イスラム天文学との関連を覗わせる記述はなにもない。観測機器(たとえば簡儀)がイスラムにある同様の器械に倣って作られたものであることすら書かれていない。
 つまり、断定するに足る証拠がないということであるか。