麻田剛立は、『崇禎暦書』だけでなく、『暦象考成後編』をも研究してその内容を消化して取り入れていた由(久米裕子「中井履軒の天文学とその背景」、本書78頁)。ここで問題になるのは、履軒が『暦象考成後編』を読んだか、あるいはそのエッセンスを剛立(もしくは間重富)から教えられていたかということだ。
また五井蘭洲の評価が、朱子学者ながら理の経験的な側面を重視し、それがゆえに荻生徂徠を批判した(『非物篇』)と、前回読んだ評価とほぼ正反対になっている(同上、本書102頁)
蘭洲は、「真知・実見」の概念を打ち出すことによって、経験が認識の重要なポイントになることを主張し、実験・観測にもとづく西洋科学の合理性を積極的に評価している。このように経験的な「理」の追究を重要視する蘭洲の説は、当時、懐徳堂学派と対立関係にあった荻生徂徠一派が世界は不可知であり、認識不可能であるとして、朱子学の「窮理」そのものを否定したことに対する反論でもあった。 (102-103頁)
(和泉書院 2004年9月)
また五井蘭洲の評価が、朱子学者ながら理の経験的な側面を重視し、それがゆえに荻生徂徠を批判した(『非物篇』)と、前回読んだ評価とほぼ正反対になっている(同上、本書102頁)
蘭洲は、「真知・実見」の概念を打ち出すことによって、経験が認識の重要なポイントになることを主張し、実験・観測にもとづく西洋科学の合理性を積極的に評価している。このように経験的な「理」の追究を重要視する蘭洲の説は、当時、懐徳堂学派と対立関係にあった荻生徂徠一派が世界は不可知であり、認識不可能であるとして、朱子学の「窮理」そのものを否定したことに対する反論でもあった。 (102-103頁)
(和泉書院 2004年9月)