書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鄭大均 『在日・強制連行の神話』

2006年02月21日 | 東洋史
 肯定するにせよ否定するにせよ、「論理的・実証主義的に、あるいは法的に正しい」ことと「政治的・形而上的に、あるいは道徳的に正しい」こととの間に区別をしない、あるいはする必要を認めない人間が棲んでいる世界のテーマである。
 正攻法の事実探究の労作たるこの書に賞賛を吝しむつもりは毛頭ないが、私自身は近頃、この種の聞く耳を持たない輩に話しかけようとするなど所詮は無駄ではないかと思えたりする。話しかけられたくないのは無論である。

(文藝春秋 2004年6月)

劉傑 『中国人の歴史観』

2006年02月21日 | 政治
 再読。
 鄭大均『在日・強制連行の神話』(本日)と感想が同じなので、省略に従う。
 どうもこのところ気が短くなっている。 

(文藝春秋 1999年12月)

▲「毎日新聞」2006年2月20日、「滋賀園児殺害:原因は日本人のいじめ?中国でネット書込み」
→http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060221k0000m040018000c.html
「Infoseek 楽天ニュース」2006年2月20日、「<滋賀園児殺害>原因は日本人のいじめ?中国でネット書込み(毎日新聞)」
→http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/shiga_kindergarten_child_murder.html?d=20mainichiF0221m018&c

 後者は前者の転載のはずだが、文面が異なる。読んで受ける印象も違う。

浦沢直樹 『20世紀少年』 17

2006年02月21日 | コミック
 しばらく他所(よそ)で遊んで頭を冷やそう。 

(小学館 2004年12月)

▲「YOMIURI ONLINE」2006年2月20日、「自立した知性で見つめた戦後日本、茨木のり子さん死去」
→http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060220i501.htm?from=main5
「SankeiWeb」2006年2月20日、「詩人、茨木のり子さんが死去 平易な言葉で読者つかむ」
→http://www.sankei.co.jp/news/060220/bun031.htm

 黙祷。

今週のコメントしない本

2006年02月18日 | 
 今週は沈思黙考。読書もひたすらの吸収。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  秦郁彦 『昭和史の謎を追う』 上下 (文藝春秋 1993年3月) (再読)

  保阪正康 『昭和天皇』 (中央公論新社 2005年11月)

  梅溪昇 『大坂学問史の周辺』 (思文閣出版 1991年3月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  池莉著 田畑佐和子訳 『新しい中国文学』 5 「初恋」 (早稲田大学出版部 1994年4月)

  秦郁彦 『歪められる日本現代史』 (PHP研究所 2006年2月)

  鶴見俊輔/中川六平編 『天皇百話』 上の巻  (筑摩書房 1989年4月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  ビル・エモット著 吉田利子訳 『日はまた昇る』 (草思社 2006年2月)

  ピーター・ボグダノビッチ著 高橋千尋訳 『インタビュー ジョン・フォード――全生涯・全作品』 (九藝出版 1978年4月)

  サミー・デイヴィス・ジュニア著 柳生すみまろ訳 『ミスター・ワンダフル サミー・デイヴィス・ジュニア自伝』 (文藝春秋 1996年6月)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  該当作なし  

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  該当作なし  

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし
  
⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本 
  該当作なし

 妙な本に当たらなかったのは幸いだった。

柴田哲孝 『下山事件 最後の証言』

2006年02月14日 | 日本史
 下山国鉄総裁他殺説。おそらくはそうか。
 なお著者によれば、殺害現場にいたのは一人の日系二世の米軍将校と一人の日本人だそうである(名前は伏せられている)。前者の所属はキャノン機関だが、機関の長であるジャック・キャノンは、事後に報告を受けるまで計画について何も知らなかったという。
 
(祥伝社 2005年8月第3刷)

▲「毎日新聞」2006年2月14日、「<麻生外相発言>「誠実さも賢明さもうかがえぬ」米紙が批判」
→http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/mofa.html?d=14mainichiF0214e038&cat=2&typ=t

 くだんの「ニューヨーク・タイムズ」社説は、誰が(そして何処で)書いたかを調べれば、おもしろいことが分かるかも知れない。

今週のコメントしない本

2006年02月11日 | 
 今週は仕事で脳漿を絞りきったので何も出ません。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  苗秀著 福永平和/陳俊勲訳 『アジアの現代文学 6 シンガポール』「残夜行」 (めこん 1985年5月)

  ジョン・J・タシク・ジュニア編著 小谷まさ代/近藤明理訳 『本当に「中国は一つ」なのか』 (草思社 2005年12月) 

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  桶谷秀昭 『昭和精神史 戦後篇』 (文藝春秋 2000年6月)

  中井久夫 『関与と観察』 (みすず書房 2005年11月)

  長崎肇インタビュー 『原水協で何が起こったか 吉田嘉清が語る』 (日中出版 1984年8月) 

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  古田博司 『東アジア「反日」トライアングル』 (文藝春秋 2005年11月第2刷)

  立川昭二 『近世病草紙 江戸時代の病気と医療』 (平凡社 1979年2月)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  竹内洋 『丸山眞男の時代』 (中央公論新社 2005年11月) 

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  該当作なし  

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし
  
⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本
  該当作なし

 今日は建国記念日ですか。そうですか。

櫻井よしこ 『国売りたもうことなかれ 論戦2005』

2006年02月08日 | 政治
 櫻井女史の韓国・北朝鮮および中国に関わるすべての議論は、基本的に、これら三国を日本(および米国)と同じ近代国家と見なしたうえに成り立っている。著者の韓国・北朝鮮と中国・台湾観は、近代的すぎると思う。
 例えば中国の唱える「東アジア共同体」構想だが、伝統的な東アジア世界秩序、つまり中国中心の冊封体制(もしくは会盟体制)の復活を目指すものと考えるほうが、実態にはより近くないだろうか。米国を除外し、日本を疎外するこの構想を実現することで、中国は、この地域において、“天朝”として徳を大いに輝かす(=非暴力的手段によって獲得された国家的威信を享受する)以外、あるいは“覇者”として覇を唱える(=暴力的手段によって獲得された国家的威信を謳歌する)以外、中国がいかなる実利――近代的な意味における国益――を手にすることができるのか、少なくとも私には解しかねるからだ。

(ダイヤモンド社 2005年11月第7刷)

▲「asahi.com」2006年2月7日、「新たな情報、一切出さず 拉致巡り再び平行線 日朝協議」
 →http://www.asahi.com/politics/update/0207/009.html
 「Sankei Web」2006年2月7日(共同)、「拉致・核問題進展せず 北朝鮮、脱北支援者の引き渡し要求」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060207/sei087.htm

 「日本が我が国とわが民族を侵略・植民地化したのだから、我が国が日本人を拉致してもかまわない」
 北朝鮮の論理を一言で要約すれば、こうなる。
 古田博司『東アジア「反日」トライアングル』(文藝春秋 2005年11月第2刷)の単刀直入の指摘(→本日「日知録」欄)を見て、蒙を啓かれた。
 北朝鮮にかぎらず、東アジア地域で法と道徳が一緒くたなのは、つまりは基本的に近代以前の段階にあるからである。人治も、法の前の不平等も、人権観念の未発達もしくは不在も、そして自立的な個人の薄弱も、中世――または古代――社会だからである。それだけのことだ。簡単な話である。
 いまだに自然法則と倫理規範が分離して認識されない(→本欄2005年07月20日、西周ほか『明治文学全集』3「明治啓蒙思想集」)のも、これが理由だと思えばすらりと理解できる(注)。

 注。例えば横田めぐみさんのDNA検査の結果を否定するのは、道徳的に間違った現実は存在しないという思惟であろう(日本古代の盟神探湯(くかたち)を想起せよ)。少なくとも北朝鮮側の建前上の論理はこのはずである。

 ひるがえって考えれば、おのれの“中華思想”のよりどころを道徳的な優位性ではなく経済的な繁栄度(あるいは軍事的な強さ)に置くところも含め、日本は、東アジア地域において実に特異な国である。孤立していると言ってもいい。