書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

櫻井よしこ 『国売りたもうことなかれ 論戦2005』

2006年02月08日 | 政治
 櫻井女史の韓国・北朝鮮および中国に関わるすべての議論は、基本的に、これら三国を日本(および米国)と同じ近代国家と見なしたうえに成り立っている。著者の韓国・北朝鮮と中国・台湾観は、近代的すぎると思う。
 例えば中国の唱える「東アジア共同体」構想だが、伝統的な東アジア世界秩序、つまり中国中心の冊封体制(もしくは会盟体制)の復活を目指すものと考えるほうが、実態にはより近くないだろうか。米国を除外し、日本を疎外するこの構想を実現することで、中国は、この地域において、“天朝”として徳を大いに輝かす(=非暴力的手段によって獲得された国家的威信を享受する)以外、あるいは“覇者”として覇を唱える(=暴力的手段によって獲得された国家的威信を謳歌する)以外、中国がいかなる実利――近代的な意味における国益――を手にすることができるのか、少なくとも私には解しかねるからだ。

(ダイヤモンド社 2005年11月第7刷)

▲「asahi.com」2006年2月7日、「新たな情報、一切出さず 拉致巡り再び平行線 日朝協議」
 →http://www.asahi.com/politics/update/0207/009.html
 「Sankei Web」2006年2月7日(共同)、「拉致・核問題進展せず 北朝鮮、脱北支援者の引き渡し要求」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060207/sei087.htm

 「日本が我が国とわが民族を侵略・植民地化したのだから、我が国が日本人を拉致してもかまわない」
 北朝鮮の論理を一言で要約すれば、こうなる。
 古田博司『東アジア「反日」トライアングル』(文藝春秋 2005年11月第2刷)の単刀直入の指摘(→本日「日知録」欄)を見て、蒙を啓かれた。
 北朝鮮にかぎらず、東アジア地域で法と道徳が一緒くたなのは、つまりは基本的に近代以前の段階にあるからである。人治も、法の前の不平等も、人権観念の未発達もしくは不在も、そして自立的な個人の薄弱も、中世――または古代――社会だからである。それだけのことだ。簡単な話である。
 いまだに自然法則と倫理規範が分離して認識されない(→本欄2005年07月20日、西周ほか『明治文学全集』3「明治啓蒙思想集」)のも、これが理由だと思えばすらりと理解できる(注)。

 注。例えば横田めぐみさんのDNA検査の結果を否定するのは、道徳的に間違った現実は存在しないという思惟であろう(日本古代の盟神探湯(くかたち)を想起せよ)。少なくとも北朝鮮側の建前上の論理はこのはずである。

 ひるがえって考えれば、おのれの“中華思想”のよりどころを道徳的な優位性ではなく経済的な繁栄度(あるいは軍事的な強さ)に置くところも含め、日本は、東アジア地域において実に特異な国である。孤立していると言ってもいい。