書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「石垣2市議ら尖閣上陸『国に問題提起』」

2012年01月04日 | 政治
▲「沖縄タイムス 」2012年1月4日 09時31分。
 〈http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-04_28102

 国が、争う余地のない自国領土と認めている以上、上陸しても何ら問題はないと私は思う。ただ隣国との外交(軍事)関係上まずいからそれは禁止としているだけという、まさに理屈の上ではおかしな話だからである。ただ、国と国民には確かにそのおかしさを突いて問題提起にはなったかと思うが、中国との関係においては波風を立てたのも否めない。それもまた目的だったのかもしれないけれど。時を同じくして中国側からも同様の船があたかも出ようとしていたのだし(あちら側の当局に阻止されたが)。意地悪く観察すれば、そうほう気勢だけ上げさせて実際には行動させないことで痛み分けしようとしていたのに、こちら側だけやった、紳士協定破りだと、あちらを怒らせた、そしてそれを望む向きがもしかしてあったか、と。


2 コメント

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national defence (noga)
2012-01-04 14:11:24
中国は、中原に鹿を追う伝統的な覇者の国。
だから、中国人に覇権主義は避けられない。
力を示したものが覇者となる。
漢民族が、東夷 (とうい)・西戎 (せいじゅう)・南蛮 (なんばん)・北狄 (ほくてき)に対して種々の要求をする。
議論を好まない。覇者はただその力を示す。
口実は、その後からついてくる。

中国語には、時制がない。
中国人は、現実しか語らない。
聖人と呼ばれる孔子でさえそうであった。
宗教の内容など、彼らにとってどうでもよいことである。宗教は、何でもあり・何でもなしである。
自分の都合が悪くなれば、覇者は書を燃やし儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)。
このやりかたは、今日に至るまで変わることがない。

力は正義である。(Might is right).
自分の考えている「あるべき姿」の内容を相手に穏やかに話し、手には棍棒を持っているのが上策である。さすれば、正義は我が方に来る。
日本の武士の子孫は、余念のない刀の手入れを怠っているのではないか。
力不足であっては、実効支配もままならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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national defence (joseph)
2012-01-04 14:20:12
noga 様、
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
ご高説、拝聴。

>自分の考えている「あるべき姿」の内容を相手に穏やかに話し、手には棍棒を持っているのが上策である。

その棍棒を使うか、使わぬかは、そして、使いたいか、使いたくないかも、別として、これは、仰るとおりであると思います。
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