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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

山脇直司 『公共哲学とは何か』

2013年06月26日 | 社会科学
 日本で「『公共』という言葉を早くから実際に用いた例」として伊藤仁斎の名が挙げられている(「第2章 古典的公共哲学の知的遺産」、本書82頁)。しかし「公共」という語自体は『史記』に見え、古くからある言葉だから意味がよく判らない。

 釋之曰:法者天子所與天下公共也。 (巻102「張釈之伝」)

 但し動詞である。「所」で括られていることからそれは明らかである。「公共」で一語であることも同時に分かる。語義は二語で「等しく適用する/される」というほどの意。これは前後の文脈から判明する。司馬貞の注釈である『史記索隠』に、「小顔云うならく」として、「公は私せざるを謂う也」とあるが、蛇足に近い。諸橋『大漢和』には「共にする。共同。」と、説明にもならない説明が書いてある。

 閑話休題。山脇氏の言うところの意味は、いわゆる現代の意味と視角から、「公共問題」あるいは「公共的秩序」を取り上げ論じた際にこの語をその意味で用いた例としての伊藤仁斎ということだろうか。とまれ、原文を読んでみなければたしかなところは分からない。

(筑摩書房 2004年5月)