書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

マックス・ヴェーバー著 脇圭平訳 『職業としての政治』

2017年10月26日 | 社会科学
 出版社による紹介

 心情倫理家はこの世の倫理的非合理性に耐えられない。彼は宇宙論的(コシュミッシュ)な倫理的『合理主義者』である。
 (ワイド版92頁)

 “倫理的合理主義”とは面白い。責任倫理とは結果の“責任”であり“結果”とは客観的な事象事実のことだが、それを無視する「合理主義」だと言う。ならばその“理”とは何ぞ。

 心情倫理と責任倫理を妥協させることは不可能である。またかりに、目的は手段を神聖化するという原理一般をなんらかの形で認めたとしても、具体的にどのような目的がどのような〔原文傍点〕手段を神聖化できるか、を倫理的に決定することは不可能である。 (92-93頁)

 さらに。以下は私がこのところ『カラマーゾフの兄弟』同条のことをしばしば考えまた書いているので、その名が出てきた偶然に感じて。私は同条をかならずしもその面からとらえていなかった。

 諸君の中でドストエフスキーを御存じの方なら、この問題が的確に展開されている例の大審問官の場面〔略〕を覚えておられるであろう。
 (92頁)

(岩波書店 1980年3月)