「東京新聞」1967(昭和42)年3月1日掲載。
われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものとみなすことを、ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。 (テキストは『決定版 三島由紀夫全集』第36巻、新潮社、2003年11月所収による。同書505頁)
声明文だし、しかも共同執筆だからしかたがないが、前出福田恒存氏による同様の文章と比べて、いかにも大味。そもそも「われわれ」という主語が、すでに「文学」的ではない。
われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものとみなすことを、ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。 (テキストは『決定版 三島由紀夫全集』第36巻、新潮社、2003年11月所収による。同書505頁)
声明文だし、しかも共同執筆だからしかたがないが、前出福田恒存氏による同様の文章と比べて、いかにも大味。そもそも「われわれ」という主語が、すでに「文学」的ではない。