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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

平川祐弘 『アーサー・ウェイリー 「源氏物語」の翻訳者』

2017年11月29日 | 抜き書き
 私個人は〔中略〕ウェイリーという学者を通して西欧の偉大さをも学んだという気がする。が、同時に、私はウェイリーやサンソムを物差しとして、その後に来たもろもろの西洋の二流、三流以下の、そしてそれだけに時に横柄で思いあがった、西洋の日本学者の値踏みもしてきたということである。昨今の西洋の日本学界には理論倒れの、不毛な、お悧巧さんの学者が、イデオロギーを振りかざして、大きな顔をしている。なぜこんな政治的に立ちまわる学者が幅を利かせるのだろうか。なぜテクストに密着する学問をきちんとしないのだろうか。論文制作に際しオリジナリティーを求めるあまり理論倒れになり、そのために原典精読を疎(おろそか)にするからであろうか。
 理論で外界を支配しようとする支配欲にとらわれる人よりも、テクストの前に謙虚に頭を垂れる人が私には好ましい。人文学の世界でドグマ一辺倒の学者ほど哀れなものはない。かつての日本ではモスクワ本位のテーゼや北京本位のインターナショナリズムに一部知識人が傾倒した時期があった。幸いにもそうした外国崇拝の時代は遠くに去った。 
(「あとがき」 本書475頁)

(白水社 2008年11月)