ルートヴィッヒ・ボルツマン(1844 - 1906)。ブラウン運動の関係者としてその伝記を確かめる。彼は原子論者だったが、彼がその人生のほとんどを生きた19世紀には、原子の存在はまだ視認できていなかった。よって実証できないものを実在すると認めることはできないという陣営も強かった。オストワルドやマッハがその代表的存在である。ボルツマンはもともと鬱病の気味があったらしいが、オストワルドやマッハらとの終わりのない論争に疲れ果て(どちらも確証がないのだからそれは終わらないだろう)、それが原因で自殺してしまったとされる。
(みすず書房 1957年11月)
(みすず書房 1957年11月)