書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

高坂正堯著作集刊行会編 『高坂正堯著作集』 第五巻 「文明が衰亡するとき」

2006年08月31日 | 政治
 たしかに、アイゼンハウアーはマクレランと同じ型の軍人であった。彼の勝ち方は「英雄的」ではなく、ましてロマンティックでは全然ないが、しかし、危なげがなかった。それはアメリカの作り出す「物量」をもっとも確実に生かす方法なのである。(略)
 そして、アメリカ人の多くはこのアメリカ的な戦争方法(競争方法)をほとんど無意識のうちに身につけている。それは恐らく、プローガンが示唆しているように、広大な西部の開拓という、アメリカの過去の経験に根ざしていると考えてもよいであろう。ほとんどすべての歴史家が一致して認めているように、西部の開拓は敗北を覚悟で出かけ、アラモで全滅した英雄的なデービー・クロケットのような人々によってなされたのではなかった。また、西部劇にでてくるような無法者や保安官は西部の開拓の代表的存在ではなかった。西部を開拓したのは若き日のジョージ・ワシントンのような注意深い測量家であり、大きな駅馬車隊の組織者であり、そして優れた経営能力と強い指導力によって鉄道を建設していった鉄道王たちであった。大平原の征服のためには、孤立した英雄的行為ではなく、地道な努力を慎重に積み上げて行くことが必要であったのである。プローガンは述べている。

  ものごとを軽やかに考える人々にとって、リアリスティックに研究されたアメリカの歴史は陰鬱であるかもしれない。報われるべきでない人々が成功しているからである。・・・・・・もちろんわれわれがときどき敗れたロマンティストたちの側に共感を感ずることは結構である。・・・・・・しかし、そのあとで、偉大な国家は高貴な、英雄的な行為だけによって作られるのではなく、また、それが主体になるのでもなく、「中庸、注意深い勇気、適度の利己主義」にもとづくのを学ぶのもよいことである。

(「世界地図の中で考える」〔1968〕 本書68-69頁)

 末尾近く、「中庸、注意深い勇気、適度の利己主義」を、「プラグマティズム」と読みかえても良いか。

(都市出版 1999年10月)


▲「asahi.com」2006年8月30日、「アラブ初のノーベル文学賞作家、N・マフフーズ氏死去」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060830/bun064.htm

 備忘のため、メモ。