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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ヒューリスティクス - Wikipedia

2017年03月04日 | 数学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

 「なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている」として「アブダクション」の項に飛ぶので仰天している。面倒くさくて「だいだいこんなところだろう」と、厳密な帰納の果ての「もしかしたらこうでもあるかもしれない」が、一緒なのか
 abduction (abductive reasoning)は、ヒューリスティックよりも勘intuitionに近いのではないか

網谷祐一 『理性の起源 賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ』

2017年03月04日 | 哲学
 出版社による紹介

 「ヒューリスティクスを使っていることが人間が理性的であるということ」というギゲレンツァの議論が紹介されてそれがそのまま用いられているが(110頁)、思考を節約する(といえば聞こえはよいが「これまでそうだったから今度もそうだろう」と思考を停止して飛躍させる)ことが、「合理的」乃至「理性的」ということになるのだろうか。
 また、冒頭の「理性」の定義がreasonのことを言っているのか、あるいはrationalityのことを言っているのか、すくなくとも私にはよくわからない。一緒に論じているのだとして、それは妥当なのだろうか。

(河出書房新社 2017年2月)

Review - The Greeks and the Irrational - Philosophy

2017年03月04日 | 数学
 http://metapsychology.mentalhelp.net/poc/view_doc.php?type=book&id=2503

  In The Greek and the Irrational, first published in 1951, E.R. Dodds (1893 - 1979) investigates the question of whether the ancient Greeks were really insensitive to the presence and importance of nonrational, religious elements in human experience. (下線は引用者)

 タイトルとは違い、ここ(書評)では、"irrational"ではなく"nonrational"という語彙(形容)が使用されているのが興味深い。「rationalではない」のではなく、「rational(ity)じたいが存在または機能しない」。

迂言法 - Wikipedia

2017年03月04日 | 人文科学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%82%E8%A8%80%E6%B3%95

 一般に分析的言語(孤立語)では迂言法が一般的であり、それ以外の言語(総合的言語)では迂言的でない方法が多くある。

 漢語は孤立語だが、分析的ではない。古代漢語はとくに。
 現代漢語の例。「炒鱿鱼」(被雇用者を首にする)という表現がある。これは迂言法か? “イカを炒めるように布団を丸めてかたづける”という、表現に至るまでの事象の認識プロセスを考えれば直喩である。だが比喩であることを表現上は明示しないから、隠喩と捉えることもできる。布団を職場と近接するものであるという認識が先立っているのであれば換喩(象徴)になる。それなしなら、寓意とも考えられる。
 そもそも西洋語を題材兼対象にして生まれた修辞技法をそのまま非西洋語の同種と見られる現象にあてはめてよいのかと、私は考える。

浅見雅一/安廷苑 『韓国とキリスト教』

2017年03月04日 | 地域研究
 出版社による紹介。l

 朝鮮王朝は、禁圧すべき対象であるキリスト教について、信徒に棄教させる努力を払うよりも、その数の多寡に構わず残らず処刑することで問題の解決を図るのが常だった由。棄教するとの意思表示があっても殺した記録残っている。次第に下層階級へと拡がっていく現実(つまり上層階級の被治者・庶民への蔑視感情)も関連していたのではないかと著者は推測する。

(中央公論新社 2012年7月)