書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

伊東俊太郎 『近代科学の源流』

2016年09月20日 | 抜き書き
 前述の『分解』〔引用者注・帰納〕と『合成』〔引用者注・演繹〕の科学方法論は、十四世紀の終りにイタリアのパドヴァ大学に伝わり、そこでさらに発展せしめられ、十六世紀にはアゴスティーノ・ニーフォ〔略〕やジャコポ・ザバレッラ〔略〕らの人々により活発に唱導された。ガリレオはパドヴァ大学において、このザバレッラの方法論に影響を受け、彼がまさし く『分解的方法〔略〕』と『合成的方法〔略〕』とよんでいるこの方法を、彼自身の自然現象の数学的で実験的な分析と結びつけて、今日『仮説演繹法』とよばれる近代科学の方法論をつくり出したのである (第9章「西欧ラテン科学の興隆」、同書293頁)

(中央公論新社中公文庫版 2007年9月、もと中央公論社 1978年10月)

モリス・クライン著 中山茂訳 『数学の文化史』 下

2016年09月20日 | 抜き書き
 もう一つ、相対論研究が注意を喚起した問題は、無意識に仮説を作ることである。これは進歩への障碍になる。無批判に気軽に仮説を作ることは戒るべきである。たとえば時間、距離、同時性がこの宇宙のすべての人に対して同一である、というものなど、無批判な仮説の好例である。今日の数学者、科学者は、表向きに認められ仮説としてのべられたものよりも、無意識裡に作られた仮説にもっと注意をはらわねばならないことを自覚している。 (第二十七章「相対性理論」、同書286頁)

(社会思想社 1987年2月)


曹長青 「星巴克咖啡喝不出中国民主」 を読んで

2016年09月20日 | 地域研究
 原題「星巴克咖啡喝不出中国民主」。 長青論壇2016-09-19。末尾に「原载《看》杂志2016年9月号」との記載あり。
 
  但在今天这民主黎明的时刻,占世界人口最多的中国仍是专制统治,这不仅是中国人的悲哀,也是所有华人的耻辱。
  当然,从“人的本质是自由”的论定,从迄今为止人类历史的进程来看,人们都有理由笃信中国一定会成为民主国家。


 「中国に(体制としての)民主主義はなくても(社会としては)日本より自由だ」という声をしばしば聞く。その”自由”という言葉の内実を考える必要があると思う。何をもって彼の人は自由と云い、此方は自由と言うか。価値が異なれば、おなじ事実あるいは状況でも評価判断が違ってくる。
 ソ連が存在していた時代、「ソ連や東欧のほうが日本や米国より民主的で、人民も自由だ」という人がいた。此方の民主主義や自由はブルジョア思想のまちがったそれで、これを民主主義であるとか、自由だとか思うのは支配者に洗脳されているのであり間違っているとのことだった。
 これはつまり、こちら側で言うところの民主主義や自由はあちら側にはないということである。
 たとえば、中国について、『アメリカ独立宣言』の有名な以下のくだりなど、歴史的に、またしたがって文化・伝統的に、どこを取ってみても、まったく関わりがない。ここに見える諸概念・その発想・それらに基づき展開される論理において。

  We hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness—-That to secure these Rights, Governments are instituted among Men, deriving their just Powers from the Consent of the Governed, (後略)
 (「天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、(後略)」) (福澤諭吉訳)

 第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。(略)
 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (『日本国憲法』)