現代社会には、各国に異なる政治的経済的諸制度が行われている。その制度を比較すれば、A国の正義は、B国では不正とされ、B国の善は、A国では必ずしも善でない。これは常識的事実である。
しかし、人間の思考に関しては、万人に妥当する論理があると信じられている。つまり同一律、矛盾律、排中律、充足理由律の原則の四つは、国境を越え、民族の別なく、妥当する論理の基礎とされている。この同一律は英語なら A is A. 矛盾律は A is not Non A. で表現される。そして日本語ではこれを「AはAである」「Aは非Aにあらず」と訳している。だが、日本語には「AはAである」と並んで「AがAである」も存在する。A is A. は果して、そのどちらに当るものであるのか。「AはAである」という表現は、本当に A is A. に当るのであるか。もし A is A. が必ずしも「AはAである」と等しくないならば、日本語によっては、いわゆる「思惟の法則」は正しく理解されない懼れがあるのではなかろうか。 (「Ⅰ 文法 2 日本人の思考と日本語」 本書25頁)
(岩波書店 1987年2月)
しかし、人間の思考に関しては、万人に妥当する論理があると信じられている。つまり同一律、矛盾律、排中律、充足理由律の原則の四つは、国境を越え、民族の別なく、妥当する論理の基礎とされている。この同一律は英語なら A is A. 矛盾律は A is not Non A. で表現される。そして日本語ではこれを「AはAである」「Aは非Aにあらず」と訳している。だが、日本語には「AはAである」と並んで「AがAである」も存在する。A is A. は果して、そのどちらに当るものであるのか。「AはAである」という表現は、本当に A is A. に当るのであるか。もし A is A. が必ずしも「AはAである」と等しくないならば、日本語によっては、いわゆる「思惟の法則」は正しく理解されない懼れがあるのではなかろうか。 (「Ⅰ 文法 2 日本人の思考と日本語」 本書25頁)
(岩波書店 1987年2月)