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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

伊東俊太郎 『近代科学の源流』

2016年09月20日 | 抜き書き
 前述の『分解』〔引用者注・帰納〕と『合成』〔引用者注・演繹〕の科学方法論は、十四世紀の終りにイタリアのパドヴァ大学に伝わり、そこでさらに発展せしめられ、十六世紀にはアゴスティーノ・ニーフォ〔略〕やジャコポ・ザバレッラ〔略〕らの人々により活発に唱導された。ガリレオはパドヴァ大学において、このザバレッラの方法論に影響を受け、彼がまさし く『分解的方法〔略〕』と『合成的方法〔略〕』とよんでいるこの方法を、彼自身の自然現象の数学的で実験的な分析と結びつけて、今日『仮説演繹法』とよばれる近代科学の方法論をつくり出したのである (第9章「西欧ラテン科学の興隆」、同書293頁)

(中央公論新社中公文庫版 2007年9月、もと中央公論社 1978年10月)

青木靖三 『ガリレイの道 近代科学の源流』

2011年01月20日 | 自然科学
 本質的な原理は命題ではなく事物である。そしてまたこの本質的原理はあらかじめ知られておらねばならないものではない。・・・・・・そしてこの原理が証明されるのは後天的にであって、先天的にではない。(下線部原文傍点)
 
 著者は、16世紀後半にパドヴァ大学教授であったツァバレラの言葉の以上の言葉を引きながら、次のように主張する。

 自然現象の数量的規定といわれる近代的科学方法論も、もし論証的方法がその絶対的優位を占めつづけ、アリストテレスの原理が先天的に承認され、結果より原因が、事物より原理が、感覚的知覚より抽象的原理が本質的であると考えられているかぎり、いかなる観察、いかなる実験と同じようにその真の威力を発揮することはできないであろう。 (以上「ガリレイとアリストテレス説」本書46-47頁から)
 
 その“原理”とは、アリストテレスのそれに限らない。「先天的に承認される抽象的原理」であるかぎり、その何であるかを問わないであろう。つまりイデオロギー、ドグマということだ。

(平凡社 1980年12月)