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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鈴木健一 『古典注釈入門 歴史と技法』

2015年01月21日 | 文学
 再読

 今日的な実証性を伴う注釈態度からは違和感を覚えるような、以上のような注釈のありかたは、むしろ中世人にとっては自然なものだったのかもしれない。自らの幻影をも投影することによって、作品世界と初めて一体化することが可能になる、一種の秘儀的な空間がそこには生まれていたのである。 (「第一章 古代・中世の注釈 秘儀としての注釈」本書67頁)

 秘儀的な空間の中に、文学・歴史・宗教といったものが混沌としてあって、そこから生まれる幻想を作品世界に投影させながら理解することが、ここ〔引用者注・中世〕での注釈作業の本質なのだった。 (同、104頁)

 伝統中国における古典の読解・注釈法に関する山下龍二氏の指摘をおもいおこさせる。

 契沖が用例を引いてきて、機能的な解析を行ったのに比べると、真淵はむしろ心情を重視して、感動のありかを示したのである。客観的な情報処理と、主観に訴える心情分析と、そのふたつは今日の注釈にも欠かせない大きな要素であると思う。それは近世初期にはすでに表れているものだった。
  (「第二章 近世の注釈 実証としての注釈」本書146頁)

 では本居宣長は?

(岩波書店 2014年10月)

マイケル・トマセロ 『心とことばの起源を探る』

2015年01月21日 | 抜き書き
 大堀壽夫・中澤恒子・西村義樹・本多啓訳。

 ヒトとヒト以外の霊長類を比較することによって、次のような結論が得られた。同種の他者を自分自身と同じように意図を持つ存在であると理解することはヒトに固有の認知能力であり、ヒトの認知に固有のさまざまな特性の多くが、この能力が発現したり、さもなくは文化的な過程を経て直接的に影響したりした結果として、説明できるということである。 (「第三章 共同注意と文化学習」71頁)

 この理解によって習得が可能になる文化的な道具、中でももっとも重要なのは言語である。 (「第三章 共同注意と文化学習」71頁)

 ヒトが同種の他者と同一化するという特別な能力を遺伝によって受け継ぐと仮定するならば、この能力に関して何らかの生物学的な障害を持つ個人を探すことも自然となる。そして言うまでもなく、自閉症の子供がそれに該当する。よく知られているように、自閉症の子供は共同注意と視点の取り方に顕著な問題を抱えている。
 (「第三章 共同注意と文化学習 3 九か月革命についてのシミュレーションによる説明」103頁)。

 われわれは、言語の指示機能とは、ある人間が、別の人間の注意を世界の中の何かに向けさせようとする社会的な行為であるという理論的な点を明確に認めなければならない。 (「第四章 言語的コミュニケーションと記号的表示 1 言語習得における社会的認知の基盤」131頁)

 もちろん、家庭で飼われているペットが「ごはん」ということばの音が食物の到来を告げていると理解するのと同じように、幼い幼児でも、大人の雑音の一つを何かの知覚される出来事と関連づけて学ぶことはありうる。しかし、それは言語ではない。子供が、大人が何かに注意を向けさせる意図で音を発しているということを理解した時、はじめて子供にとってその音は言語になる。それが言語だということに初めから気づいているわけではなく、発育の過程で理解するようになる。そのためには、〔略〕他者も意図を持つ主体であるということを理解しなければならない。また、〔略〕共同注意場面への讃歌が必要だし、今日注意場面の中での特定の意図的行為、つまり、伝達意図を表す伝達行為を理解しなければならない。 (「第四章 言語的コミュニケーションと記号的表示 1 言語習得における社会的認知の基盤」136頁)

 私は、言語は認知の一形式だと考えている。言語とは、人と人の間の意図伝達を目的とする認知のことである(略)。人間は、他者と自分の経験を分かち合うことを望み、長い年月の間に、それを達成するための記号的習慣を生み出した。その記号的終刊を習得する過程で、Slobin (1981) が「話すための思考 (thinking for speaking) と言っているように、人間hは、言語なしでは概念ができないようなことも概念化するようになる。人間の記号による意図伝達が効果的に成功するためには、独自の形式の概念化が要求されるからである。
 (第五章 言語の構文と出来事の認知 3 言語的認知」201頁)

(勁草書房 2006年2月)