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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鈴木健一 『古典注釈入門 歴史と技法』

2015年01月21日 | 文学
 再読

 今日的な実証性を伴う注釈態度からは違和感を覚えるような、以上のような注釈のありかたは、むしろ中世人にとっては自然なものだったのかもしれない。自らの幻影をも投影することによって、作品世界と初めて一体化することが可能になる、一種の秘儀的な空間がそこには生まれていたのである。 (「第一章 古代・中世の注釈 秘儀としての注釈」本書67頁)

 秘儀的な空間の中に、文学・歴史・宗教といったものが混沌としてあって、そこから生まれる幻想を作品世界に投影させながら理解することが、ここ〔引用者注・中世〕での注釈作業の本質なのだった。 (同、104頁)

 伝統中国における古典の読解・注釈法に関する山下龍二氏の指摘をおもいおこさせる。

 契沖が用例を引いてきて、機能的な解析を行ったのに比べると、真淵はむしろ心情を重視して、感動のありかを示したのである。客観的な情報処理と、主観に訴える心情分析と、そのふたつは今日の注釈にも欠かせない大きな要素であると思う。それは近世初期にはすでに表れているものだった。
  (「第二章 近世の注釈 実証としての注釈」本書146頁)

 では本居宣長は?

(岩波書店 2014年10月)