石崎又造 『近世日本に於ける支那俗語文學史』 2015年01月30日 | 日本史 柳沢吉保は中国語ができた由。悦峯道章が江戸城で徳川綱吉に拝謁した際、彼は通訳を待たず悦峯の発言を理解したという。吉保は若年から中国僧に就いて参禅していた(黄檗宗)、つまり学び通じる必要があったということだ。第三章第一節「柳澤吉保を中心とする支那語学」、本書50頁。 (清水弘文堂書房 1967年9月)