書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

桂米朝 『桂米朝 私の履歴書』 

2005年02月07日 | 伝記
 今月3日欄、澤田隆治『上方芸能列伝』で、名を挙げた本である。
 私は、この人の落語はもちろん『上方落語ノート』シリーズ(青蛙房)をはじめとする著作のファンである。(朝日放送『味の招待席』の話術も絶品でした。)
 この自伝は、私にとっては一冊まるごと、上方戦後落語史の入門書である。なかでも「年譜」(小佐田定雄編集)のおかげで、この人が著した上方落語の歴史に関する研究書をまだいくらも読んでいないとわかったのは大きい。

(日本経済新聞社 2002年4月)

 ▲『日本華網』という在日中国人の中国語インターネット掲示板(http://cgif.nifty.com/fchina/chinese/wforum.cgi?lang=1&list=0)をよく訪れるのだが、そこで最近おおいに気を吐いている“説説容易”氏は、以下に挙げる諸氏の中国人についての形容が実に当てはまるように思う。

 ・「(言動が)誤魔化しとすっとぼけに満ちている」、「咄嗟に言葉を考え、その場凌ぎする」、「(発言が)全く意味のない言葉の羅列にすぎない」、「物事には原因があって結果というものがある、ということに気づか」ない、「ちょっとわかればそれで満足する」。
  ――Ralph Townsend, "Ways That Are Dark: The Truth About China."(引用は田中秀雄・先田賢紀智訳『暗黒大陸中国の真実』芙蓉書房、2004年10月第7刷より)

 ・「正確緻密といふことに無頓着」、「人の言を履き違へる才能」、「不誠実」、「事物の真偽に対して関心を有してゐない」、「智的渾沌」、「原因の概念を持つてゐない」、「誹謗は第二の天性」、「疑心暗鬼」。
  ――Arthur H. Smith, "Chinese Characteristics."(引用は白神徹訳『支那的性格』中央公論社、1943年3月より)

 ・「分析的思考の欠如」、「科学精神の欠如」、「真理はただ直感によって感じとることができるだけ」と考え「論理というものを信じていな」い、「自己の目や手を煩わすような愚かな苦役は望まず、自己の直感力を無邪気に信じて」いる。
  ――Lin Yutang(林語堂), "My Country And My People."(引用は鋤柄治郎訳『中国=文化と思想』講談社、1999年7月より)
 
 だが“説説容易”氏の言行は、これらの形容に代表されるステレオタイプの否定的中国人像に、あまりに当てはまりすぎるのである。“現実世界がほぼ完全に観察者の主観の内側にあるとする本質的にニュートン学説前の世界観”であるところなど、キッシンジャーが形容したそのまま(1月29日欄、諸星清佳『沈黙の国の記者 劉賓雁と中国共産党』参照)ではないか。
 “説説容易”氏は、もしかしたら、少しは中国語ができて日本人と中国人の相互理解が進むことに多少でも貢献したいと願っている私のような日本人に、こんな相手とは話し合うことなどどだい不可能と思わせてやる気を失わせ、さらには中国人への激しい嫌悪感を起こさせて反中の側へ追いやるのを目的として活動している、中国人を装った日本人なのかもしれない。