台湾の先住民族は、清朝時代は「生蕃」、日本統治時代は「高砂族」、中華民国時代には「高山族」、「山地同胞」、のち「原住民」さらには「原住民族」と呼称は変わったが、彼等が台湾社会において底辺の無視される存在であることに変わりはなかった(モーナノン「僕らの名前を返せ」および巻末下村氏「解説」)。彼等はおのれの本名さえ奪われていた。
彼等の視点からすれば、李登輝前総統でさえ「早住民」という「でたらめな命名」を勝手に作って自分たちに押しつけようとする「傲慢な国民党主席李登輝氏」ということになる(トパス・タナピマ「名前をさがす」)。
ちなみに「名前をさがす」および同じくトパス・タナピマの「ぬぐいされない記憶」によれば、二・二八事件当時の彼等にとっては台湾人が「漢人」であり、日本人は「漢人より凶暴で野蛮」、外省人(トオル)は見たこともなく、姿形の想像さえできず、台湾人を殺しまくるという噂から、まるで怪物かなにかのようなイメージを抱いていたという。
(草風館 2002年12月)
彼等の視点からすれば、李登輝前総統でさえ「早住民」という「でたらめな命名」を勝手に作って自分たちに押しつけようとする「傲慢な国民党主席李登輝氏」ということになる(トパス・タナピマ「名前をさがす」)。
ちなみに「名前をさがす」および同じくトパス・タナピマの「ぬぐいされない記憶」によれば、二・二八事件当時の彼等にとっては台湾人が「漢人」であり、日本人は「漢人より凶暴で野蛮」、外省人(トオル)は見たこともなく、姿形の想像さえできず、台湾人を殺しまくるという噂から、まるで怪物かなにかのようなイメージを抱いていたという。
(草風館 2002年12月)