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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

"Litotes", Wikipedia

2018年09月13日 | 人文科学
 https://en.wikipedia.org/wiki/Litotes

The use of litotes is common in English, Russian, German, Dutch, Hebrew, Aramaic, Greek, Ukrainian, Polish, Mandarin, French, Czech and Slovak. It is a feature of Old English poetry and of the Icelandic sagas and is a means of much stoical restraint.

The word litotes is of Greek origin, meaning "the property of being light (as opposed to heavy)", and is derived from the word litos meaning "plain, small or meager".

George Orwell complained about overuse of the 'not un...' construction in his essay "Politics and the English Language".
 (下線は引用者)

 ここに漢語が入って挙げられているのは興味深い。たんに煩を厭っただけかもしれないが、日本語が入っていないのも同様である。

 まあ、litotes(緩叙法)の定義が非常に技術的だから、その普遍的な適用性は高くなる。

In rhetoric, litotes (/ˈlaɪtətiːz/, US: /ˈlɪtətiːz/ or /laɪˈtoʊtiːz/) is a figure of speech that uses understatement to emphasize a point by stating a negative to further affirm a positive, often incorporating double negatives for effect. For example, "He's not bad looking" could express that someone is gorgeous—or could convey that he's neither particularly ugly nor attractive. The degree of emphasis depends on context.


 contextの影響はlitotesそのものの内容や構造には関係しない。その効果度に限られる。

わが“矛盾論”

2018年09月12日 | 人文科学
 昨日、ツイッターで「愚問を発するのは愚人」と書いた。今日、「ツイッターに溢れる薄汚い発言を見てツイッターにいるのは薄汚いやつらばかりだとあらためて思った」という文章を目にして、「薄汚いことを言うから薄汚い奴という理屈は必ずしも正しくないのでは」と思った私は矛盾していることに気が付いた。

昨日、市井の人の、天候の挨拶よりもうすこし踏み入った内容の会話を・・・

2018年09月12日 | 人文科学
 昨日、市井の人の、天候の挨拶よりもうすこし踏み入った内容の会話を耳にする機会があったのだが、そのものずばりを避けて使う言い換え語彙の“ずらしかた”や“にじませかた”、また同様の発想や語彙の使用法に基づくいいまわしや表現が、「それでお互い何のことかわかるのか」と不思議に思えるくらい、技術的には多義的で模糊としていた。魯迅と許広平が書簡で金銭の話をする場合には、信じられないほど曖昧な物の言い方をすることを、魯迅の評伝を訳しているさい原著に教えられた。著者の注釈がなければ何のことか分からないほど模糊とした書き方だったが、それと同様か。背景となる状況について知識を共有していないと、“解読”できない。

志村和久 『漢文早わかり』

2018年08月29日 | 人文科学
 「不(ず)」「也」などの助詞は平仮名書きにするとあるが、同じ助詞でも「有」「無」「所」「非」「以」は仮名書きにしてもしなくてもよいとあるのは、いったいどういう基準の線引きによるものであろう。67頁。また21頁。
 例えば岩波文庫の『日本外史』と有朋堂文庫の『十八史略』であるが、これらを並べて覧ると、同じ書き下し文でも細部ではずいぶん違ってくるものである。「之」を前者は「これ」と表記し、後者は「之」とそのままで書く。慣習ならんか。加えてこんにちの入試基準の漢文指導では、字音語は現代仮名遣いに、字訓語は歴史的仮名遣いにと教える例がある由など、もう私には原則がわからず理解を超える。

(学燈社 1982年12月)

大野晋 『日本語をさかのぼる』

2018年08月24日 | 人文科学
 出版社による紹介

 なかで、“いくさ”という言葉の意味の変遷が説かれる(「第三の型―語の変身」同書35-37頁)。『万葉集』の時代にはもともとは朝鮮語で「鋭い矢」を意味したこの詞が、→「それを使う動作」→「それを使う人」→「その人の集まり」という“変身”を経て平安・鎌倉時代の「その力の激突」へと“転化”してゆく。大野先生はそうは言っておられないが、この変身や転化を換喩の変遷もしくは発展と見てもよくはないか。

(岩波書店 1974年11月)

中野好夫 「翻訳雑話」

2018年08月20日 | 人文科学
 『中野好夫集』Ⅵ(筑摩書房、1984年4月所収)。

 英語に限らず(げんにイタリア語も取り上げられる例文のなかに入っている)翻訳とは何か、いわゆる“豪傑訳”と、異なる言語間における内容と表現の転換との、重なる所とそうでない所というものを、紹介される実物と解説を通じて考える機会に恵まれる。

和辻哲郎 『日本精神史研究』

2018年08月18日 | 人文科学
 この著者は昔から解らない。比較しても意味はないかもしれないが、林達夫は解るし好きな一方でこの人は書く文章すら好ましくない。そしてこれは谷沢永一大人が曾て仰ったように『日本精神史研究ノート』とすべき内容だろう。体系が認められない。

(岩波書店 1992年11月)

中村幸彦『中村幸彦著述集』全15巻

2018年08月03日 | 人文科学
 人文科学は自然科学のような分析的手続きによっても、社会科学の経験的手続きによってもテスト不可能な情意文の集りであると、山下正男氏は『新しい哲学』において仰ったが、この碩学の論著は、その情意文であって解は一つではないという性質もしくは限界内において、根拠と論理そして読者を説得するための修辞を具足した、ほぼ間然するところのない文章にしてその解の一つ、もしくは命題とさえ、思える。

(中央公論社 1982年-1989年)

考えてみれば「塘」という字は不思議で、・・・

2018年06月28日 | 人文科学
 考えてみれば「塘」という字は不思議で、もともと堤防を意味していた(土偏であることに注意)のが、そのうちその堤防で防ぐもしくはせき止める対象の水、とくに溜まっている水(池や湖、のち風呂屋の大風呂も)をも、囲いごと示すようになった。引申義といえばそれまでだが、換喩としても理解できる。