昨日書き始めたことにはためらいがありました。
今もあります。
ルー風に
「いろいろ言っても結局はサーどっちがベター
なのよ。それともアンサーが他にあるわけ?」
こう聞かれると困るのです。
二つのうちどちらを選ぶかで教育観が見えます。
関係者だけでなく社会全体も関心を持って欲しい!
長所短所を見つめて欲しいのです。
「で、WHITCHなのよ?」
上も増え下も増えるのを無条件では認め難いですね。
下に手当てすると言いながらお茶を濁していないか?
少なくとも経済界の一部に成績の低い子にコストを
かけることを嫌う風があります。
(学校や塾の経営者はどうか?)
そのコスト意識は視野が狭く短絡的です。
少なくとも外国の考えを無批判に受け入れています。
日本の強さはどこにあったでしょうか。
外国と条件が同じですか?
できない子をおいてゆくことで社会全体ではコストが
かかっているのではありませんか?
教育に競争は必要ですが、格差は悪です。
仕組みの話と自助努力のレベルの話と、混同しない
ようにお願いしますね。
○
少し日本教育の強さに触れておきましょう。
戦後の経済発展は教育も大いに寄与しています。
憲法の下、自由平等な教育を目指した結果です。
確かにマイナス面もありましたけれども。
実は戦前の教育の考え方が続いていたのです。
教育立国ですね。
全員を一定レベルに上げようというものでした。
いや、戦前からというより江戸時代からです。
ただし、方法論が「詰め込み」であった。
そうならざるをえなかった?
欠点もあるが有効でもあったのです。
天才が少ないという批判もありますが
実際はどうでしょう。
たとえ少ないとしても因果関係あり?
全体としては個性に欠けやすい、ただし平均点は
高い、という教育法でした。
教育だけで日本人ができるわけではないけれど。
○
そういうことに対する「反省」が昭和の末ごろ
から強くなってきました。
個性を大切に、褒めて育てる・・
それも大切でしょう。
ただし方法論がどうであったか。
結局、カタチを変えた詰め込みしかできなかった。
詰め込み方は進歩しています。
細かくデータをとり、教育技術も向上させ。
教える側が意識しなくても詰め込み風に勉強すれば
ついてゆけるのです。
詰め込みともう一つは甘さです。
私はこの二つが出会うととんでもない化学変化が
起きるような気がしています。
自ら考えようとしない子供が出来上がるのです。
一見したところ出来る子が実は何も考えることがない
せいぜい、調べて方法を見つけること程度の技術しか
持てないのです。
細かく教える技術が進み、上記の「思考停止」が定着
してゆきます。
○
昨日の二者択一は正しいものではなかったのです。
違うアプローチが必要です・・
そうです、それが「個別」で「教えない」
へへ、宣伝になってしまった。
(続きます)
今もあります。
ルー風に
「いろいろ言っても結局はサーどっちがベター
なのよ。それともアンサーが他にあるわけ?」
こう聞かれると困るのです。
二つのうちどちらを選ぶかで教育観が見えます。
関係者だけでなく社会全体も関心を持って欲しい!
長所短所を見つめて欲しいのです。
「で、WHITCHなのよ?」
上も増え下も増えるのを無条件では認め難いですね。
下に手当てすると言いながらお茶を濁していないか?
少なくとも経済界の一部に成績の低い子にコストを
かけることを嫌う風があります。
(学校や塾の経営者はどうか?)
そのコスト意識は視野が狭く短絡的です。
少なくとも外国の考えを無批判に受け入れています。
日本の強さはどこにあったでしょうか。
外国と条件が同じですか?
できない子をおいてゆくことで社会全体ではコストが
かかっているのではありませんか?
教育に競争は必要ですが、格差は悪です。
仕組みの話と自助努力のレベルの話と、混同しない
ようにお願いしますね。
○
少し日本教育の強さに触れておきましょう。
戦後の経済発展は教育も大いに寄与しています。
憲法の下、自由平等な教育を目指した結果です。
確かにマイナス面もありましたけれども。
実は戦前の教育の考え方が続いていたのです。
教育立国ですね。
全員を一定レベルに上げようというものでした。
いや、戦前からというより江戸時代からです。
ただし、方法論が「詰め込み」であった。
そうならざるをえなかった?
欠点もあるが有効でもあったのです。
天才が少ないという批判もありますが
実際はどうでしょう。
たとえ少ないとしても因果関係あり?
全体としては個性に欠けやすい、ただし平均点は
高い、という教育法でした。
教育だけで日本人ができるわけではないけれど。
○
そういうことに対する「反省」が昭和の末ごろ
から強くなってきました。
個性を大切に、褒めて育てる・・
それも大切でしょう。
ただし方法論がどうであったか。
結局、カタチを変えた詰め込みしかできなかった。
詰め込み方は進歩しています。
細かくデータをとり、教育技術も向上させ。
教える側が意識しなくても詰め込み風に勉強すれば
ついてゆけるのです。
詰め込みともう一つは甘さです。
私はこの二つが出会うととんでもない化学変化が
起きるような気がしています。
自ら考えようとしない子供が出来上がるのです。
一見したところ出来る子が実は何も考えることがない
せいぜい、調べて方法を見つけること程度の技術しか
持てないのです。
細かく教える技術が進み、上記の「思考停止」が定着
してゆきます。
○
昨日の二者択一は正しいものではなかったのです。
違うアプローチが必要です・・
そうです、それが「個別」で「教えない」
へへ、宣伝になってしまった。
(続きます)