私に縁なき天才話

2008-06-21 11:42:13 | 教えない
数学となればわが藤原正彦先生にもご登場願いましょう。
数学のエライ先生でもありエッセーも面白い方。
皆様、ご存知の通りです。

『心は孤独な数学者』新潮文庫(平成13年)
これは数学の天才3人について書かれた本ですが
中でもシュリニヴァーサ・ラマヌジャンについて
が圧巻です。

1887~1920若死にしたインドの薄幸な超天才。
10歳にして微積分をマスターしたそうです。

藤原先生はこの程度の少年はいつどこの国にも
いるものだ、と書かれています。
しかしラマヌジャンはここから先が違った。

どれくらい天才で、どれほどドラマティックな生涯
であったか、本をお読み頂くしかないですね。
計り知れない神秘的な頭脳であったそうです。

昨日のシンと違って藤原先生は数学の内容については
細かく触れておられません。
ご同業だから簡単には話せないのでしょう。

もっともウェブサイトでラマヌジャンの数学の説明を
見ても私には何がなんだか・・・


もう少し普通の人間の話に下りましょうね。

ラマヌジャンも10歳のとき大学生に微積の手ほどきは
受けたそうです。
将棋の羽生名人だって初めは教わった。

天才は手ほどきだけで良いのでしょう。

普通の「出来る人」はもう少しリードが必要。

東大生の何割かはその「出来る」にも値しないらし
いですが、まあ、出来る人も大勢おられます。
その出来る人には教えて構いません。
自分で考えてくれるから。

もちろん東大、京大以外でも大勢おられるハズです。


出来るレベルにいなければ「教えない」レベルで
勉強してもらい、次に「出来る」ステージへ上
がってもらえばよいのです。

決して「出来る才能」が生まれついて決まっている
わけではありません。

天才は別でしょう。多分。
お付き合いさせて頂いたことがないので推量です。

その下はみんなチョボチョボです。
世間が思われるほどの差はないのです。


ある程度数の人間が並んでいると比較しやすいので
高校受験の段階で既にこの生徒がどの大学レベルか
およその見当がつきます。

模試の偏差値には差がありますし、授業の手ごたえも
違います。
東大京大レベルと広大レベルではハッキリ違います。

ただ、少し離れてみると力はそんなに違いません。

計算が速い者、暗記にすぐれた者、そういう個人差は
結構大きいのですが、ただそれだけです。
そのテの能力だけで上の学校にゆくと止まります。

東大を出て、大したことない(失礼)の居ません?

差が大きくないのですから、段階を踏んで上にあがる
ことは十分に可能です。
諦めたらオシマイ。

逆に出来ると思っていた子が、二十過ぎればただの人
というほうが難しいですね。
君はこういう問題があるといっても分かりませんから。


諦める以前に、力があるので「キミは出来る」と言っ
ても信用しない人は結構多いものです。
「それって塾の営業でしょ?」

私が言うから信用できないのかも。

でも、信じていただけないと伸びませんね。

保護者の方も信用していただけないことがあります。
「調子の言いことばかり・・
 うちの子がそんなにできるわけありません。」

まずご自分の子供を信じることからなのですがねえ。

サイモン・シン

2008-06-20 08:07:39 | 塾あれこれ
サイモン・シン著、新潮文庫『暗号解読』を
読み終えました。(巻末問題はパス)

大変に面白い本でした。
これほどの内容をこのお値段では安すぎますね。

近年は本を読むスピードが遅くなり、かつ読書時間が
なくなって昨年7月出版の本をやっと読了しました。
今頃になって、ね。

美味しいものをゆっくりと味わうように・・かな?

けれどもこの本をご存知の方なら「今頃読了?」
でしょうね。
何をおいてもさっさと読むべきでした。


シンは当ブログでも触れた(07.1.19)『フェルマーの
最終定理』の著者です。

我々凡人にはとても歯が立たない難しい数学や科学の
話をわかりやすく読ませてくれます。
特に式を使わないで数学を説明するのは大変な才能だ
と思います。

『暗号解読』は『フェルマー・・』に負けない
いやそれ以上に面白い本ですね。


暗号は言語や記号だけでなく数学や科学的成果が詰め
こまれた技術です。
現代では情報の最新技術に関わっています。

その暗号は使用するニーズから戦争、政治や経済に
関係しその面から本書を読むのも面白いでしょう。

よって国防に関心あるウヨク読むべし、ですが
そちらに向け特別に書かれた物ではありません。
お気に入らないところがあるかもね。

暗号なくしてはネットで買い物一つできません。
Eメイルも安心して打てません。

出版されるぎりぎりの最新情報まで入っているようで
シロウトには驚くべき世界です。


面白い話がこれでもかとテンコモリの本ですが
作者はそのレベルでは満足しません。

人間というものに迫る面白さが一杯です。
とりわけ次々と現れる天才たちの面白いこと!

人間の脳の素晴らしさ、ハートの重要性、そういった
ことを感じる度にページを繰る指が止まり、しばし
ウ~ムと思う己でありました。

本当にスゴイ人がいるものですね。
描かれた人も描いた人も。

昭和47年は「ぴあ」の年だった

2008-06-19 09:14:26 | 塾あれこれ
昭和47年サラリーマンになりました。
ほぼ40年近く前の話です。

御徒町の松坂屋ま向かいのビルが会社でした。
夜行列車で上京し、その朝、御徒町に辿り着いたとき
路面電車が走っていました。
なぜか鮮明に覚えています。

広島の電車と大差はなかったハズですが広い道を
猛烈な勢いでがーがーと走っていきました。

本数は少なかったのではないでしょうか。
山手線も地下鉄もあるのですから。

都電には乗る機会がなく同年秋廃線。
翌年にホコ天が始まるのと関係があるかなあ?


その昭和47年に情報雑誌ぴあが創刊されています。
初めは薄い雑誌でした。映画館の情報が主でしたね。
確か一冊100円くらいではなかったか?

毎月映画情報をチェックし名画座巡りをしました。

途中から情報が増え分厚くなりましたが持ち歩き難く
なってしまいましたね。
プレイガイドを始めるのはもっと後の話です。


広島弁はバカにされました。

田舎訛はみなそうでしたね。
東京ぼん太が訛だけで笑われていた時代です。
若水やえ子とか由利徹なんてのもねえ。

それを笑う下町の若者がナイフやフォークで食事が
できませんでした。

洋式トイレも少なかったですね。
翌年からの石油ショックでトイレットペーパーが
なくなり皆困ったのですが、トイレは和式だった。


初任給は一部を親に仕送りしました。
一、二ヶ月後「仕送りはよいから」といわれてほっと
してしまった程度の親孝行?でした。

夏の初めてのボーナスで鞄を買いました。
出張用のボストンバッグです。
他人に見られるものだから安物ではいけないと親に
教えられていました。
一緒に鞄を買った福岡出身の同期生も同じ趣旨を
言われていたようです。

さすがに銀座には行けず、新宿でしかるべき店を探し
「えいやっ」と一ヶ月の給料に近いものを買って
しまいましたね。
高かったので悩みに悩んで・・

福岡弁と広島弁で悩み、値切ろうとしてあしらわれ
さんざん時間をかけた生まれてはじめての高額?な
買い物ではありました。

買って店から出るとき背後で店員達の大笑いする声。
「この田舎モノ」という感じが伝わりました。
今ならば店に引き返して文句をいいますが、当時は
こちらが小さくなって、逃げました。

故なく、あからさまな笑いを背にした初めです。
福岡の友も同じ感じを受けていました。
暫くは新宿でモノを買えなかったですね。

東京のお店といってもその程度でした。
国全体が田舎だったのでしょう。


後日、出張帰りでそのまま出社したところ
営業本部長が鞄を見て
「お、良いねえ、まるでホンモノの皮みたいだ」


およそ40年あれば新入社員もほぼ定年です。
明治維新から日露戦争で38年ですからずいぶんの
時間になりますね。

1600年に関が原があり、大阪夏の陣、島原の乱
鎖国の完成までで41年です。
その間に家康も秀頼も秀忠も亡くなり家光の時代
40年とは長いものです。

翌昭和48年に会社の前もホコ天になりました。
その年の暮れから第一次オイルショックです。

あれから35年
事件で秋葉原のホコ天は中断されています。
(会社の前から秋葉原まで徒歩10分強の距離です)
あの「ぴあ」は社員の大量退職とか。

当時のように石油が上がっています。
そのことが新しい局面を意識させますね。
そうして20世紀が遠ざかる。


昭和48年のオイルショックから4年後
有珠山が爆発し、プレスリーが亡くなり
ボンベイで日本赤軍ハイジャック事件があった
その年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致され
ています。
それから30年を越えてしまいました。

30年、いかに長く残酷な時間であることでしょうか。

導く

2008-06-17 10:51:24 | 塾あれこれ
できない子は教えないと書きました。

同じ考えで仕事をしている方に申し訳ないので
表現を改めますと、
できない子には教えないですむ段階まで徐々に
導いてあげる、というのが穏当な表現でした。

ただ(導く)と書くと教えるイメージが強く出てきそう
なので避けたかったわけです。


全国で「教えない」ことを頑張っておられる塾が
増えているのではないでしょうか。
レイによって調べたわけではないのですが。

吉備学習システムの方も教えて下さいました。
かの会社のシステムを使って「教えない」塾がある
そうで、HPに紹介されています。
(関心のある方はネットで検索して下さい
 当塾は小規模すぎて採用していないですが。)

知り合いの多くも大なり小なり「教えない」という
ことを考えておられるようです。
打ち合わせたわけでもありません。
学問の主流ではないでしょうし
ヒットした本があるわけでもありません。

ただ、多くの塾が同様のことに辿り着いたということは
ある種の必然があるのではないでしょうか。
もうすぐトレンドになるかもね。


難しいのは教え方。
経営も採算にのせるのが大変でしょう。
考え方の一部を使いながら全面的に移行できない塾も
あるのではないでしょうか。

でも、やりづらいからこそ小さな塾の武器なのです。
大きな塾では出来ないことなのです。

集団授業で「教えない」ところもあるようです。
先生が大変ではないかなあ。

多人数個別という形式で「教えない」もあります。
もしかして余裕がなく「教えられない」・・?

大切なことは個人の把握です。
これなくしては「教えない」は成り立ちません。


ほとんどの先生は生徒を把握していると、自分では
思っているハズです。
していなければ教えられませんから。

ただし深さの問題があります。

私は以前の進学塾で3Aという難関校受験クラスを
担当していました。
生徒は毎年20~25人くらいです。
たったこれだけの人数ですからキチンと生徒を把握
していました。もちろん。

けれども現在の形式で同一時間に向き合う生徒が
3~4人というカタチをとると、以前の20人の時は全く
生徒が見えていなかったという気持ちになりました。

把握の質が違うのですね。

従って、人数が多いときは教えない試みをしても
せいぜい考えさせる時間を増やす程度の事しか
できなかったように思います。

極論すれば(付いてこれないなら仕方ない)というの
が当時のホンネでしたね。
細かく「教えない」対応ができなかった。
一度に20人もいれば例え毎日のクラスでも対応出来な
いし、私も教えない技術を磨けなかったのです。


「教えない」は受験に強い、という話をしたいのです
が・・また宣伝ですね、塾が苦しいのかしらん?
・・すみません、次回。

え?

2008-06-16 10:59:23 | 塾あれこれ


え?

う~ん、そうですねえ。

先日、とある方に聞かれたときの私です。

父上が団塊の世代という若くて美しい先生。
真摯なお方の瞳に写っている私はさぞやジジイであろ
うと思いながら、男というものは調子に乗って何でも
喋りたおしますね。

(あなたはブログをしていて外へ発信するのであるが
インプットはどうしてるのか)と尋ねられたのです。


いや、昔話ばかりなので、最近は勉強も何もしてない
のですが、そこは美人の手前何とかカッコつけたい。

う~ん、と思うのですが出てくるわけはありません。

さらりと気の利いたことをいえるとか、逆に正直に
なれるか、ならば私も少しはマトモなのでしょうが
あせりまくって
「そうですね映画ですかね。『靖国』を見ました」

とは言ったものの近年映画館には年に1~2回しか
足を運ばなくなっているのです。

(ちょっと横道)

『靖国』はまずまずの映画でしょう。
ウヨクサヨク問わず見てよいのではないでしょうか。
監督の意向は出ていますが、表現するのですから
仕方ありません。
ドキュメンタリーは完全な中立では成立しません。

ただ、ひとあたり課題を触れて見せただけで突込みが
弱い、そして右翼の側をパフォーマンスで見せるだけ
の事が多く、きちんと話をとれていない、こういう
問題はあるように思いますね。


話を戻します。

う~ん、と言ったのは勿論正直になれないから。

真面目な先生に
「ミヤネ屋」と「たかじん胸いっぱい」なんて
言えるわけはありませんよね。

ダラクしたオッサンである私はワイドショーや
バラエティーも嫌いではなくヒマがあればTVを
見ています。

これも横道の話ですが40代前半までは若者文化に
注意はしていました。
今何が流行っているか、どんな言葉を使っているか、
チェックすべきと思っていたのです。

近年はメンドウ、さすがについていけなくなった。。

オジサンが若者文化をチェックするときにどこかで
若さに媚びている趣がある場合が・・
イヤラシイというか情けないというか
どうしてもそういうショウネが抜けないのであれば
いっそ知らないほうがよい、とは理屈が過ぎますか。

もちろん、先のご質問はこういう類のことを聞きたい
趣旨ではありません。

よって、今も 「う~~~ん」

無いものは出てこないのに。

出来ない子こそ「教えない」

2008-06-15 11:48:26 | 教えない
出来る子には教えてよいのです。
できない子には教えてはいけません。

自分で出来る子は頼りません。
周りからの口出しは邪魔です。
「今、考えてるからごちゃごちゃ言うな」

同じセリフを吐いて、考えていない子もいます。
考えていると言いながら、本人もそのツモリながら
実は考えていない子の何と多いことか。

顔をゆがめ、髪をかきむしり、「う~ん」・・
しばらくすると助けを求めます。

ここで「教えてはいけない」が大切になるのです。

上記の(苦慮)が助けを求める儀式になっている場合
があるのです。
安易に教えると相手の(作戦)に乗りかねません。
子供はそのツモリではないので、きつい表現ですが。

大人の側が勘違いすると結局子供のためになりません
から注意が必要です。

考えるとは、理屈を操作し、発展させ、場合により
飛躍させることです。
決してデタラメにうろうろすることではありません。

「やりかたを忘れた」というタイプは要注意。


そうではなく自分で考える子がいます。
本人がヒントを求めれば教えてやります。
次々と深く教えてもかまいません。


北島康介はLZRが泳ぐのではない、
泳ぐのは自分だ、と言っています。

神尾真由子はストラディバリウスが鳴るのではなく
弾くのは自分だと言います。

二人ともまったく同じですね。
自分が確立しています。

神尾はブロン先生に教わります。
でも、先生が言うことを聞かないこともあります。
負けず嫌いで、我が強い若者です。
・・なんて可愛い生徒でしょう。
(言うことを聞かないのに可愛いのは自己をきちんと
 持っているから。チャーミングなのです)

ブロン先生は一生懸命教えます。
「いちいち細かい煩いジジイ」らしいです。

プロを教える現場というのは見る機会がない
のでとても面白いTVでした。
先生の愛情が一杯あふれています。

教え教わる人間関係のとても幸福な例です。

極端な話を出しましたが、
出来る子には教えてよい、ということです。

(昨年7/2,10/20,21に神尾さんの話があります)


繰り返しますが、多くの子には教えてはいけません。
それは特に大人の側にエネルギーが要ることです。
片手間のバイト仕事ではできませんね。

結局ベターなのはサー

2008-06-14 11:01:32 | 塾あれこれ
昨日書き始めたことにはためらいがありました。
今もあります。

ルー風に
「いろいろ言っても結局はサーどっちがベター
 なのよ。それともアンサーが他にあるわけ?」
こう聞かれると困るのです。

二つのうちどちらを選ぶかで教育観が見えます。
関係者だけでなく社会全体も関心を持って欲しい!
長所短所を見つめて欲しいのです。

「で、WHITCHなのよ?」

上も増え下も増えるのを無条件では認め難いですね。
下に手当てすると言いながらお茶を濁していないか?

少なくとも経済界の一部に成績の低い子にコストを
かけることを嫌う風があります。
(学校や塾の経営者はどうか?)

そのコスト意識は視野が狭く短絡的です。
少なくとも外国の考えを無批判に受け入れています。

日本の強さはどこにあったでしょうか。
外国と条件が同じですか?

できない子をおいてゆくことで社会全体ではコストが
かかっているのではありませんか?
教育に競争は必要ですが、格差は悪です。

仕組みの話と自助努力のレベルの話と、混同しない
ようにお願いしますね。


少し日本教育の強さに触れておきましょう。

戦後の経済発展は教育も大いに寄与しています。
憲法の下、自由平等な教育を目指した結果です。

確かにマイナス面もありましたけれども。

実は戦前の教育の考え方が続いていたのです。
教育立国ですね。
全員を一定レベルに上げようというものでした。

いや、戦前からというより江戸時代からです。

ただし、方法論が「詰め込み」であった。
そうならざるをえなかった?
欠点もあるが有効でもあったのです。

天才が少ないという批判もありますが
実際はどうでしょう。
たとえ少ないとしても因果関係あり?

全体としては個性に欠けやすい、ただし平均点は
高い、という教育法でした。

教育だけで日本人ができるわけではないけれど。


そういうことに対する「反省」が昭和の末ごろ
から強くなってきました。

個性を大切に、褒めて育てる・・

それも大切でしょう。
ただし方法論がどうであったか。

結局、カタチを変えた詰め込みしかできなかった。
詰め込み方は進歩しています。
細かくデータをとり、教育技術も向上させ。
教える側が意識しなくても詰め込み風に勉強すれば
ついてゆけるのです。

詰め込みともう一つは甘さです。

私はこの二つが出会うととんでもない化学変化が
起きるような気がしています。

自ら考えようとしない子供が出来上がるのです。

一見したところ出来る子が実は何も考えることがない
せいぜい、調べて方法を見つけること程度の技術しか
持てないのです。

細かく教える技術が進み、上記の「思考停止」が定着
してゆきます。


昨日の二者択一は正しいものではなかったのです。

違うアプローチが必要です・・

そうです、それが「個別」で「教えない」

へへ、宣伝になってしまった。

(続きます)

本当に良いのですか?

2008-06-13 10:40:06 | 塾あれこれ
導入した勉強法は本当にそれで良いのか?

簡単な図式から始めましょう。
二つ並べてみますが、代表的なケースを私なりに
まとめてみたものです。

図式の前提として、生徒の間には学力(成績)分布が
あるものとします。便宜的にabcと別けますね。
aはテストの成績がよいグループ。
一般に学力が高いとみなされています。
bが中間でcは下位グループになります。

通常bの数が多いのですが、話を簡単に進めるために
1/3ずつ居るものとします。

さて、どこかが新しい勉強法を採用するとします。
(現状より学力や成績をアップさせたいのは誰も同じ)

大きくいって二つあると思いますが、まず一番目は
もっとaの人数を増やそうという作戦です。
bからaへ上がる生徒を増やします。

ただし現実には逆にbからcに下がる生徒も
出てきます。

立派なシステムですと上がる生徒が多くなり
aが3/5にもなるかもしれません。
多少下がるのがいてcが2/5ですね。(bが消滅・・)

通常みなさんaに注目します。
「すごいシステムだ、aが倍増したぞ」

進学校や進学塾はすぐに採用するでしょうね。
受験結果も倍になるのですから。


下位グループの問題は認識しているでしょう。
良心的な組織ならば別途手当てをいたします。

補習とか個別指導とか。能力別授業編成も。

それらをエクスキューズとしてaの倍増に飛びつく
ハズです。
私でも進学塾のときならば採用したでしょう。

しかし、一部とはいえbの人間をcへ落とすシス
テムが果たして教育的といえるのか?
その生徒たちの立場になって欲しいものです。

上記思考モデルではcは微増なのですが
私はそれでも問題であると思います。
社会全体として40%のcでいい?

「きめ細かい対策」自体が生徒に「自分はcだ」
という気持ちを植えつけてやしないか?

つねに補習をやらされる側の気持ちになってみると
感謝ばかりとはいかないでしょう。

もちろん全体が上がるようなやり方がベストです。
ただそれは神業に近いでしょうね。
あれば全国で飛びついているはずです。


ご時勢は塾だけが営業を考えるものではありません。

格差拡大に目をつぶっても上をなんとかしたいのが
先生方各位のホンネでは?

cから月謝はしっかりと頂いておいて、です。


対照的に同じ成績アップでもaは変わらないが
cからbへ、が増えるシステムではどうでしょう。

どこどこ何名、が生き死にを分ける時代に
一定以上の生徒を抱える組織が採用するか?

やはりaを増やす方を採用するでしょうね。


こう書くと私はゴリゴリの平等主義者のように
見えてきますね。

そういうレッテルを貼って格差拡大の考えを
進めている多くの日本人に、それだけでいいの?
と思うのですが、続きは明日。

学校で習った通り

2008-06-12 08:46:19 | 塾あれこれ
インフレとは習った通り貨幣価値が下がり続けること
ですから現金を持っていると損です。
貧乏人は金がないのだから気楽ともいえますが、
しかしナケナシの貯金で万一に備えている場合は
それが見るまに価値を下げるのもつらいものです。

物を持っているほうがよい、と習いましたね。
ところがそのモノがないのが貧乏ですから困る。。

中3に教えるには、貯金も一定は必要だろうが
価値が下がる、と。
保険も同様でしょう。
ポートフォリオのごく基本を生徒に説明しながら
株、動産、不動産は物価と並んで値が上がるので
現金よりは被害が小さい、と伝えます。
ただし、せいぜい価値を下げない程度のことが
ほとんどでしょう。

物価に連れて上がるものは働いて得る収入です。
逆に年金生活者はつらい。

お勤めとか自営とかは物価に連れるカタチで収入も
漸増しますね。(自営は上げにくいけれど)
だから働く力が一番大切です。
けれども病気をしたり会社が倒産をすればアウト!

農業などはインフレで食糧危機の時代には有望ですが
これも病気や国際情勢で難しいことも多い。
この為替レートの高い国で農業をしてどうやって外国
と対抗できるでしょう。

ついでに申し上げますと借家生活は過去の例でみると
インフレ時には弱いのではないでしょうか。
家賃がどんどん上がるとツライですよね。
現在日本は比較的住宅が空いているのが幸いですか?


仕方がありませんから貧乏人は切り詰める。

ムダを更に減らす。
モノを大切にして捨てない。
どうしても買うべきものは早く買う。
消費財でも上がる前に買う。

買うのは減らして、なるべく自前で済ます。
ウメボシもポンズも、めんつゆも、買うより
作ったほうが安い(・・かな?)

外食に勝たずとも負けない料理の腕が大切です。
自慢じゃないが十年前より腕は上がりました。

とはいえ基本的には貧乏人には手がありません。

政治のありかたが大切です。
貧乏人でも選挙で関われます。
政党に参加は難しいでしょう。
(少なくとも私は苦手です)

また、環境によいことをしなければなりません。
環境が悪くなるとつらいのは貧乏人ですから。


料理は少しできますがDIYがからきしダメです。

「んとに、男らしくないったら、
 クギ一本打てないんだから。
 あああ、危ないったら、
 どいて どいて あたしがするわ」

ええ?上沼恵美子さんのセリフです。
うちのカミサンではありませんので念のため。

梅干をつける

2008-06-11 11:06:43 | 食べる

この時期梅干をつけるのがささやかな楽しみです。
2~3kgですから簡単です。

初めて意識したのは辰巳浜子さんの『料理歳時記』
昭和52年の中公文庫でした。定価280円。

実際に漬け始めたのは結婚したあとです。
もう十年くらいになりますか。
難しそうと思っていたけれど、やってみれば何とか
なるものです。

また辰巳さん(今TVでは娘の芳子さんが活躍)は
立派なレシピですが、少々手抜きもできるようです。
失敗するとモッタイナイので大胆な手抜きに挑戦は
できませんけれども。


昨年8.4に塩分の話を書いています。
そこでは梅に対し塩20%とキリのよい数字を書き
ましたが実際には梅の重さの18%でやっています。

辰巳さんは1.2kgの梅に塩カップ2杯半と書いて
おられます。
梅と塩を交互にカメに入れて漬けられます。

私は少量ですから梅を一粒ずつ焼酎で洗い
すぐに塩をまぶして写真のようにします。
他にもビニル袋で振るとか色々方法はあるようです。

実は過去に一度失敗しました。、
その時、新しく買ったカメの殺菌が不十分だったか
カビを生やしてしまいました。
それ以来壜やその他の焼酎殺菌を丁寧にしています。
多分注意点はそれだけで、あとはかなり楽です。


塩分の多い、酸っぱ~い昔ながらの梅干ですが
食べる量が少なくて済みますから結局減塩でしょう。

現在市販されている減塩や味付けの梅干はまず殆ど
通常の塩分で漬け、その後で塩抜きするのです。
水にさらすのですから味も抜けます。

そこで色々な味を添加するのですね。
鰹節をつくるときの「工場廃液」(←きついか)を
加えるような話を聞いたことがあります。
他にも甘味を加えるとかetc
それで加工梅干には手を出す気になれません。
美味しいと思えないし。
梅は中国産だろうし。


梅に塩をまぶし重石をすると4,5日で水が上がって
きます。
重石を取って、極端に言うともう出来上がりです。

通常はこのあと、紫蘇を加え、土用干しをし、ですが
それをしなくても食べられないことはないようです。

案外たくさん梅酢がとれます。
それにショウガ、ミョウガ、その他をつけても美味。
料理に使うもよし、です。

ウドンのつゆに少量いれるのもグーですねえ。