できない子は教えないと書きました。
同じ考えで仕事をしている方に申し訳ないので
表現を改めますと、
できない子には教えないですむ段階まで徐々に
導いてあげる、というのが穏当な表現でした。
ただ(導く)と書くと教えるイメージが強く出てきそう
なので避けたかったわけです。
○
全国で「教えない」ことを頑張っておられる塾が
増えているのではないでしょうか。
レイによって調べたわけではないのですが。
吉備学習システムの方も教えて下さいました。
かの会社のシステムを使って「教えない」塾がある
そうで、HPに紹介されています。
(関心のある方はネットで検索して下さい
当塾は小規模すぎて採用していないですが。)
知り合いの多くも大なり小なり「教えない」という
ことを考えておられるようです。
打ち合わせたわけでもありません。
学問の主流ではないでしょうし
ヒットした本があるわけでもありません。
ただ、多くの塾が同様のことに辿り着いたということは
ある種の必然があるのではないでしょうか。
もうすぐトレンドになるかもね。
○
難しいのは教え方。
経営も採算にのせるのが大変でしょう。
考え方の一部を使いながら全面的に移行できない塾も
あるのではないでしょうか。
でも、やりづらいからこそ小さな塾の武器なのです。
大きな塾では出来ないことなのです。
集団授業で「教えない」ところもあるようです。
先生が大変ではないかなあ。
多人数個別という形式で「教えない」もあります。
もしかして余裕がなく「教えられない」・・?
大切なことは個人の把握です。
これなくしては「教えない」は成り立ちません。
○
ほとんどの先生は生徒を把握していると、自分では
思っているハズです。
していなければ教えられませんから。
ただし深さの問題があります。
私は以前の進学塾で3Aという難関校受験クラスを
担当していました。
生徒は毎年20~25人くらいです。
たったこれだけの人数ですからキチンと生徒を把握
していました。もちろん。
けれども現在の形式で同一時間に向き合う生徒が
3~4人というカタチをとると、以前の20人の時は全く
生徒が見えていなかったという気持ちになりました。
把握の質が違うのですね。
従って、人数が多いときは教えない試みをしても
せいぜい考えさせる時間を増やす程度の事しか
できなかったように思います。
極論すれば(付いてこれないなら仕方ない)というの
が当時のホンネでしたね。
細かく「教えない」対応ができなかった。
一度に20人もいれば例え毎日のクラスでも対応出来な
いし、私も教えない技術を磨けなかったのです。
○
「教えない」は受験に強い、という話をしたいのです
が・・また宣伝ですね、塾が苦しいのかしらん?
・・すみません、次回。
同じ考えで仕事をしている方に申し訳ないので
表現を改めますと、
できない子には教えないですむ段階まで徐々に
導いてあげる、というのが穏当な表現でした。
ただ(導く)と書くと教えるイメージが強く出てきそう
なので避けたかったわけです。
○
全国で「教えない」ことを頑張っておられる塾が
増えているのではないでしょうか。
レイによって調べたわけではないのですが。
吉備学習システムの方も教えて下さいました。
かの会社のシステムを使って「教えない」塾がある
そうで、HPに紹介されています。
(関心のある方はネットで検索して下さい
当塾は小規模すぎて採用していないですが。)
知り合いの多くも大なり小なり「教えない」という
ことを考えておられるようです。
打ち合わせたわけでもありません。
学問の主流ではないでしょうし
ヒットした本があるわけでもありません。
ただ、多くの塾が同様のことに辿り着いたということは
ある種の必然があるのではないでしょうか。
もうすぐトレンドになるかもね。
○
難しいのは教え方。
経営も採算にのせるのが大変でしょう。
考え方の一部を使いながら全面的に移行できない塾も
あるのではないでしょうか。
でも、やりづらいからこそ小さな塾の武器なのです。
大きな塾では出来ないことなのです。
集団授業で「教えない」ところもあるようです。
先生が大変ではないかなあ。
多人数個別という形式で「教えない」もあります。
もしかして余裕がなく「教えられない」・・?
大切なことは個人の把握です。
これなくしては「教えない」は成り立ちません。
○
ほとんどの先生は生徒を把握していると、自分では
思っているハズです。
していなければ教えられませんから。
ただし深さの問題があります。
私は以前の進学塾で3Aという難関校受験クラスを
担当していました。
生徒は毎年20~25人くらいです。
たったこれだけの人数ですからキチンと生徒を把握
していました。もちろん。
けれども現在の形式で同一時間に向き合う生徒が
3~4人というカタチをとると、以前の20人の時は全く
生徒が見えていなかったという気持ちになりました。
把握の質が違うのですね。
従って、人数が多いときは教えない試みをしても
せいぜい考えさせる時間を増やす程度の事しか
できなかったように思います。
極論すれば(付いてこれないなら仕方ない)というの
が当時のホンネでしたね。
細かく「教えない」対応ができなかった。
一度に20人もいれば例え毎日のクラスでも対応出来な
いし、私も教えない技術を磨けなかったのです。
○
「教えない」は受験に強い、という話をしたいのです
が・・また宣伝ですね、塾が苦しいのかしらん?
・・すみません、次回。