土本典昭さん

2008-06-24 22:28:55 | 塾あれこれ
水俣のドキュメンタリー映画で知られる土本典昭監督
が亡くなった。
テンショーがシンダ。

二十代半ば、国立に住んでいたころ彼に会った。
というか若者の小さな映画研究会にドキュメンタリー
映画を教えに来られたのである。

古武士の印象であった。
背は低いがエネルギーの塊り。
ドキュメンタリーにしばしば登場されているが
画面よりももっと分厚い存在感があった。

強く優しい人であった。
劇映画をみるしかしていない、馬鹿な礼儀知らず共に
正面から向き合ってくださった。

実際、詰らない質問をしてもこちらの目を見て丁寧に
答えて頂けたのである。
すでに「水俣」で著名な監督であったが微塵も偉ぶる
ところはなかった。
多忙そうで、はばかられたのであるが一度一緒に飲ん
で欲しかった、誘えそうな気もしたのである。

彼自身の小さな作品を上映して我々に分析させるなど
面白い「授業」だった。
出来る人は授業も違うのである。

直接伺うことができた話は多くはなかったが印象深い
ものばかりである。

現場に飛び込み真摯に向き合うと良い映画になると
仰っていた。
水俣のように大きな「現場」であると深刻な状況
様々な人生、考え方も事情も多様、思想や政治も渦巻き
その中で自分をみつめ、きちんと生きることは大変で
あったと思う。その上での映画つくりであった。

原爆、沖縄、水俣
これらに共通するのは罪も無い弱者の痛み。

政治運動がすぐ意識される事柄でありヤスモノの人間は
目を曇らせることが多いが、それではいけない。
人として見過ごすことができるか!
ウヨクとかサヨクとかの次元ではないことである。

土本監督の仕事を考えなければならない。

それにしても国立で会った頃の土本さんの年齢を越え
馬齢を重ねるばかりの自分である。

落ち着かない夜になりそうだ。

沢村一樹はなかなか

2008-06-24 09:27:50 | 塾あれこれ
いわずと知れた売れっ子であるらしい。

らしい、と書くのは私がほとんどNHKしか見ない爺
であるからで、もっぱらサラリーマンNEOで彼を
知っているのであります。

セクスィー部長も彼なくしては出来ないもので悪くは
ありませんが、私が好きなのは「ニュース解説」の
パロディ
番組制作者がえらいのか、よくここまで、ですね。
あれ最近見かけませんが、もうムリなのかも。


彼が「マイロード」で自分を語っていました。

自伝というものは、元々ある程度割り引いてみないと
いけません。
美化や露悪化、自己韜晦、話をオオゲサにする、など
さまざまな落とし穴があるからです。
無意識が多いでしょうから見分けも難しい。

もちろん自分でしか分からないことは(自伝)になら
ざるをえないのですがね。

沢村一樹が描いてみせる自己はなかなかにハングリー
な人間です。
賢い人のようでマザコンを表面に出し、普段からの
研鑽をイヤミなく理解させます。

日々、考えている人のようです。
(ハングリーだから考えられるのですね)

モデルから俳優に転進するとき、運命の神様の前髪を
掴みます。
モデル時代の社長から「今辞めると違約金が生じるか
ら契約が切れる半年後まで待ったらどうか」と言われ
それでも即座に俳優に踏み出します。

自分に向いてきた流れをパっと掴むのですね。

日ごろから考えている人間である証拠でしょう。

人生にはいくつか転機があり、それは自分で感じる
ことができるものです。
普段、考えている人はその際の結論が早いのです。


彼はこうも言っています。

うまく行かないとき、自分が持っているものを出し
きろう、すぐに引き下がってはいけない!

人に転身を相談しないとも言います。
相談するヒマがあるなら何らかの行動を起こすと。
正解ですね。

物を考えること自体アクションを起こすことです。
もわ~っと悩むのは考えている事ではありません。


具体的なアドバイスを求めやすい事の相談は
して構わないのでしょう。

自分で答えを出しかねてする相談はよくありません。
心のどこかに自分が求めているものがあって、それを
言って欲しい、なんてのもありますね。
こういうのは自分でアクションを起こすほうが早く
解決します。

本当に混沌としている場合ならば尊敬できる人と話を
するのが大変に有益でしょう。

また、気持ちが落ち込んでいるだけのときは
友達が有難いものです。


繰り返しますが人生の選択は自分で。
それができる自分を育てることが必要です。

もう少し続けたいのですが時間ギレ。
マッコウクサイしねえ。