国語も英語も

2008-06-26 14:28:35 | 塾あれこれ
国語か英語か・・いささか古い話題ですね。

二者択一は疑わねばなりません。

丸谷才一は文春文庫『ゴシップ的日本語論』で
教育についてふれ、今の日本語の弱さを嘆きます。

そして、近年の英語か国語かという選択は正しくない
国語も英語も十分に教える必要があると述べます。

もちろん英語が大人になって実用的である事を踏まえ
それだけでなく日本語の勉強にも役立つ、と。

「英語の先生は日本語をよく教えてくれる」

低学年での英語では、日本語への還元は難しいかも
しれませんが、ある程度勉強が進めば日本語理解の
大いなる助けになりますね。

明治以降の多くの文学者が外国語に堪能です。
いやそれ以前だって漢籍は必須でした。

漱石=英語、鴎外=独語、荷風=仏語など
まあ今更ここに書くまでもない常識ですよね。

日本語を磨くに外国語の目が有効である証拠
でしょう。

もちろん日本語の古典などがきちんと入っての
外国語学習です。
日本語の感覚が無くては何も始まりませんから。


文章力とは(内容)(論理)(語感)を総合したもの
であろうと思いますが、日本語ではいまだ論理力が
弱いのではないでしょうか。

外国語を学ぶと論理力が強くなります。
フランスでは「国語」というと論理の勉強だそうです。
ものを考える力を育てるのですね。

国語か英語か、程度の問題意識そのものが論理性に
欠けることを示しているのでした。


高校受験でも小論が大切になってきました。

そこでどんなことが言われていると思われます?

指定字数を守りましょう、字は乱雑に書かないこと、
誤字脱字は減点です、課題文を引用しましょう・・

ここに論理が登場して来ないのです、
情けないとは思われませんか。
これが国語教育、ひいては生徒の国語力の実態を
現しています。

論理といっても難しいことをする必要はありません。
自分の考えをきちんと展開し提示できているか。

小論は具体的な添削指導が不可欠です。

大学受験用に想定文例を集めた参考書などがあり
ますが、百害あって・・かな?

繰り返します。
論理といっても難しいことではありません。

小説書くのも論理
お笑いも論理
仕事のプレゼンも論理

ご家庭でニュースやバラエティに突っ込んで頂くのも
簡便に論理を磨けます。

「じゃ、○○はどーなのヨ」ってね。

私はもっぱらTVへの突込みを楽しみにしています。


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