秋葉原の通り魔事件

2008-06-10 08:58:46 | 塾あれこれ
なんとも気の重い事件が続きます。
被害に遭われた方、関係者の方々、ほんとうに
哀しいことで言葉もありません。
かつ犯罪には怒りを覚えます。

シロウトが十分に分からないことに触れるのは
よろしくないとは思います。
(今まではなるべく避けた事柄です)
けれども、何も知らない顔をして平和な話をするのも
落ち着きません。
私にまったく無関係な話であるとも思えないのです。


個別の事件内容はメディアや学者が調べられるでしょう
から、一連の、十年とかそれ以上のスパンで続く同種の
事件について、ヤスモンのコメンテーターのマネをして
みます。

人間というものは、という把握もあるでしょう。
社会=政治、経済なかんづく近年の雇用形態が原因かも
しれません。
食事とか環境悪化の影響?
文化のありようかもしれないですね。
それらと同時に教育の問題かもしれない。。。


なぜ、世の中がいやになったら無辜の人を殺すのか?
どういう思考回路なのか、よく分かりません。

その途中には様々な感情や思考があるのでしょう。
それとも余りに短絡的なことなのか。
自暴自棄が殺人へ、分かるようで、ヤハリどうにも
分かりません。
少なくとも一般の大人の考えではありえません。

TVで「厭世→無差別殺人」といわれてナントナク
分かった感じがする、それが私は落ち着きません。

おとなしい文武に優れた、事件を起こすとは見えない
という人が「キレて」大犯罪を起こす。
或いはキチンと厳しく教育していたのがいつの間にか
社会においていかれ・・

放任しても厳しくしてもうまく行かないことがある。
であるならば、他の事に原因があるかもしれません。

ただ教育に全く無関係とは思いにくいのです。
無関係であれば気休めにはなるかもしれません、
なぜなら原因が分かるわけですから。


近年、子供に「子供の役割」を求めることが強く
子供はそれを満足させて(良い子)でいればいい、
そういう教育(広義の)が行き過ぎてきたように
思うのです。

大人が子供を分からない。
子供も大人が分からない。

こういうことが関係しているのではないでしょうか?

昔から「子供は子供」でしたからその役割があり
現代と違わないようにも思えるのですが、少し違う。

子供はむかし大人のすぐとなりにいました。

そのほうが人間的な成長にも資する、細かい話ですが
受験でも結果がでる、ということです。


朝、弱いのでまだ頭が眠っています。
これから学校説明会に行きます。