親友の母は楚々として美しい方であった。
そのうえ明るく優しく、自分の母とよく比べた
ものである。
「オフクロと違うな~」
いつごろだったかそのお母さんが被爆されていたと
聞き驚いたことがある。
まったくそうは思えなかった・・
○
勤め先には体内被曝の方がおられた。
健康そのものにお見受けしたが、心のどこかに不安を
持っていらっしゃったかもしれない。
○
私の母は原爆にあわないで済んだ。
広島市内に住んでいたのだが数ヶ月前に尾道へ引っ越
していた。
父が兵隊で朝鮮に行くので父の郷里へ戻ったのである。
少しずれていれば原爆にあい、私は多分この世に生ま
れることはなかった。
叔父(父の弟)は長崎で投下直後の町に入っている。
強い残留放射能を浴びていた。
○
このように私の小さな世界に接する様々な人間がもつ
それぞれの世界に原爆が強い影を落としている。
◎
広島にかなり以前からある沖縄料理店、
私より年上の大将は友人のように接して下さる。
結婚したときも心から喜んでくださった。
その彼が幼ないころ沖縄戦があった。
山野を逃げたそうである。
重い口から少しだけ伺った。
それ以上は話そうとされない。
私と接する世界には沖縄戦があった。
○
父がシベリアで生き延びて私が生まれた。
○
在日韓国人(北朝鮮系かも)の方とよく飲んでいた。
若いころ密航船で行き来した、と聞いた。
酔ったあげく明け方の内緒話である。
私と接する世界には朝鮮戦争もあった。
○
地下鉄サリンに1時間ずれて助かった身内もいる。
御岳大崩落で土砂深くうずもれた知り合いもいる。
塾の生徒でアメリカンスクール時代の友達がインド
ネシアの大津波で行方不明になった人もいる。
○
私が無事で生きているのが不思議なほど色々な事が
身近にはある。
ひと事ではないということである。
自分の身の上に同様のことがおきるかもしれない。
水俣も地球温暖化もわが事として考えなければなら
ないのだ。
余りに無力な自分に呆然としながら。