暗い話

2008-06-27 09:45:04 | 塾あれこれ


親友の母は楚々として美しい方であった。
そのうえ明るく優しく、自分の母とよく比べた
ものである。
「オフクロと違うな~」

いつごろだったかそのお母さんが被爆されていたと
聞き驚いたことがある。
まったくそうは思えなかった・・


勤め先には体内被曝の方がおられた。
健康そのものにお見受けしたが、心のどこかに不安を
持っていらっしゃったかもしれない。


私の母は原爆にあわないで済んだ。
広島市内に住んでいたのだが数ヶ月前に尾道へ引っ越
していた。
父が兵隊で朝鮮に行くので父の郷里へ戻ったのである。
少しずれていれば原爆にあい、私は多分この世に生ま
れることはなかった。

叔父(父の弟)は長崎で投下直後の町に入っている。
強い残留放射能を浴びていた。


このように私の小さな世界に接する様々な人間がもつ
それぞれの世界に原爆が強い影を落としている。


広島にかなり以前からある沖縄料理店、
私より年上の大将は友人のように接して下さる。

結婚したときも心から喜んでくださった。

その彼が幼ないころ沖縄戦があった。
山野を逃げたそうである。
重い口から少しだけ伺った。
それ以上は話そうとされない。

私と接する世界には沖縄戦があった。


父がシベリアで生き延びて私が生まれた。


在日韓国人(北朝鮮系かも)の方とよく飲んでいた。
若いころ密航船で行き来した、と聞いた。
酔ったあげく明け方の内緒話である。

私と接する世界には朝鮮戦争もあった。


地下鉄サリンに1時間ずれて助かった身内もいる。

御岳大崩落で土砂深くうずもれた知り合いもいる。

塾の生徒でアメリカンスクール時代の友達がインド
ネシアの大津波で行方不明になった人もいる。


私が無事で生きているのが不思議なほど色々な事が
身近にはある。

ひと事ではないということである。
自分の身の上に同様のことがおきるかもしれない。

水俣も地球温暖化もわが事として考えなければなら
ないのだ。

余りに無力な自分に呆然としながら。