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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■狭い門から入りなさい /福井 誠

2025年08月07日 | Weblog

2025/5/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。「継続は力なり」ですから、ぜひ続けて読んでください。そうすれば聖書を読む楽しさが、自然に身についてきます。
 今日は「狭い門から入りなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章13節、14節をお読みします。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」

 アンドレ・ジッドの小説『狭き門』のタイトルの由来として知っておられる方も多い箇所です。簡単に小説のあらすじを説明すると、主人公のジェロームとアリッサは幼いころから深い愛情関係にありました。しかし、アリッサは、天国に至る狭き門を選ぶために修道院に入り、地上の幸福を諦めるのです。恐らくその小説のイメージもあって、「狭い門から入る」というのは困難で孤独な道を選び取ることでそれがよいのだ、と受け止めている方も多いのではないでしょうか。

 しかし一旦、小説のイメージを取り除いてみましょう。ここで言われていることは、狭い門から入ればよいというのではなくて、狭い門に続く狭い道を歩み続けなさい、ということです。となると、実は当たり前のことを言っているに過ぎません。
 往々にして挑戦を避けて楽な道を進みたがる人は多いものです。しかし何かに秀でるような人は日々鍛錬に励み、大変な努力の積み重ねをしていることがあります。著名なスポーツ選手、芸術家を考えてみるとわかるでしょう。
 信仰も同じです。信仰者の成長は神の恵みや人の支えにもよっていますが、日々聖書を読み、祈り、神のことばに生きる、実に地味な狭い道を歩み続けることによるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.8放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■求めなさい /福井 誠

2025年08月06日 | Weblog

2025/5/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は、15:52 2025/07/31 木曜日皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けています。著者マタイの語り口が皆さんの耳に響いてくる、そんなことを願っています。今日は「求めなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章7、8節 をお読みします。

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます」

 このことばは、クリスチャンでなくても、一般的な人生訓のように覚えている方も多いことでしょう。
 確かに、読むと励まされることばです。ご利益があるような気すらします。
 ただ、聖書を読む時に大切なのは文脈です。そのことばが置かれている前後関係が重要なのです。

 そこで前後関係に注意しながら、このことばが何を勧めているのか改めて考えてみると、ただ単純に神に祈り求めよと勧めてはいないことに気づかされます。
 すぐ前に、「聖なるものを犬に与えてはいけません」とあります。
 つまり、みんなが大切に思っているものを大事にしないような人たちに渡してはいけない。傷つけられるのが落ちだ、と言うのですが、そのように分かっていながら、大切なものを渡し、大切にしてもらえず傷ついてしまった、ということはあるものでしょう。

 そのような時に、とイエスは言います。失敗に落ち込んでいないで、それを糧にして成長し前に進みなさい、求めなさい、と。また探し、叩きなさい、と具体的な行動を促します。

 ただ願っているだけでは物事は好転しない。具体的に動いて、探して、叩いてみよう。 行動することで、自分の目指すものも実現できるし、人生も変わるからです。手を動かして一歩踏み出してみましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.7放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■さばいてはいけません /福井 誠

2025年08月05日 | Weblog

2025/5/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書からイエスのことばを味わってまいりましょう。今日は「さばいてはいけません」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章1節、2節をお読みします。

 「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。」

 今日の聖書のことばを聞きながら、「『さばく』って何かな?」と耳をそばだてた方もおられるのではないでしょうか。「魚を捌(さば)くのかな? それとも何か裁判に関わることなのかな?」と一瞬考えられた方もいるかもしれませんね。
 確かに「さばく」ということばは特定の状況で使われることが多く、日常ではあまり耳にしないものです。しかしキリスト教会ではよく使われる単語で、いわゆる業界用語というべきものではないかと私は思うことがあります。

 「さばいてはいけない」 これは普通の言い方をすれば、「批判してはならない」、「厳しい言い方をしてはいけない」ということです。もちろん適切な批判や指摘が必要なこともあります。過度な批判、相手の気持ちを考慮しない指摘は止めましょうということでしょう。

 大切なのは、人間は過ちを犯しやすいものだ、と心得ることです。間違いを犯さない人などいません。人間としての弱さを意識できれば、相手の過ちを厳しく指摘するよりも、優しく理解を持って接することが大事だと分ります。そして建設的に自分の考えを伝える重要さもわかります。人が間違いを犯して(その人に)何か言わなければならないとしたら、ぜひ優しく語っていきたいものです。そうすれば、たとえ優しさが直ぐに返ってこないとしても、あなた自身の心も安らぐのです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■明日のことは明日が心配します /福井 誠

2025年08月04日 | Weblog

2025/5/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。しばらくぶりですが、リスナーの皆様お変わりございませんか? 今週一週間は私が担当しますので、新約聖書のマタイの福音書から共に読んでまいりましょう。聖書を読むことが楽しくなることを願っています。
 今日は「明日のことは明日が心配します」と題して、新約聖書マタイの福音書6章34節からお話をいたします。
 6章34節
 「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」

 最近、キリスト教会でも「マインドフルネス」ということばがよく聞かれるようになりました。マインドフルネスは、仏教・禅の修行がルーツで、今この瞬間に集中することを大事にします。最近ではビジネスの世界で集中力や作業効率を上げる能力開発に応用されています。医療の世界でも、ストレスを下げたり回復力をアップさせたりする治療目的で応用されるようになりました。

 マインドフルネスが注目される背景は様々ですが、その一つに現代の情報過多社会があります。
 皆さんもスマートフォンを使っていて思うことがあるでしょう。スマートフォンは仕事を効率化し、私たちの暮らしを飛躍的に便利にしました。しかしその反面、家に帰った後も仕事のメールを受け、自分の時間が失われるストレスがあります。隙間時間いわばボーっとしている時間すら奪って脳を疲れさせているとも言われます。こうしていつも何かが気になって心が落ち着かない人に、今ここに集中するマインドフルネスの手法は有効だと言います。

 イエスは「明日のことは明日が心配します」と言いました。それは言い換えれば、「今日一日のことに集中せよ」です。まさにマインドフルネスの手法と同じです。心配してもどうにもならないことはあるものです。過剰な心配は身の毒です。心配事は一つずつ片づける他ありません。今日できることに集中しましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.5放送でのお話しより )


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■サイレントキラーに自覚症状を /水谷 潔

2025年08月02日 | Weblog

2025/5/3放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷 潔です。
 
 昨日に続いて旧約聖書の詩篇119篇71節からお話しします。
 「サイレントキラー」ということばをご存知でしょうか。サイレントキラーとは、痛みや苦しみなどの自覚症状がないままで進行していき、気づいたときは致命的な合併症を引き起こしてしまう病気のことです。
 例えば、「沈黙の臓器」と言われる肝臓は、障害が起こっても、すぐには痛みや苦しみが伴わないために、肝臓病はとりわけ注意が必要とされています。

 詩篇119篇71節は言います。
 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」

 「おきて」というと厳しい感じがしますが、聖書の中の「おきて」とは、神様が私たちの幸せを願って与えてくださる愛のことば・生きる指針です。

 少し前の67節には、「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。」とありますから、神様を離れ迷い出ていた詩人は苦しみを経験することで本来の歩みに立ち返ったようです。
 逆に言えば、苦しみを経験することなしには立ち返ることはなかったのでしょう。

 神様を離れて歩むその姿勢のことを聖書は「罪」と言いますが、それはちょうどサイレントキラーのようです。神様を離れて迷い出るような生き方をしても、必ずしも痛みや苦しみが伴うわけではありません。
 しかし私たちに生きる意味と目的と希望をお与えになる神様を離れた歩みは、やがて言いようもない空しさや絶望をもたらしかねません。

 神様は、サイレントキラーに侵されているような私たちを愛し、自覚症状を持つようにと、敢えて苦しみをお与えになることがあります。
 それは、人間本来の歩みに立ち返るようにという愛の危険信号とも言えるでしょう。

 ラジオの前のあなたは、今、何かの苦しみの中におられるでしょうか。もしかすると、その苦しみは、あなたが神様に立ち返り、本来の歩みを始めるためのものなのかもしれません。
 いつか振り返って、「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした」と言える苦しみなのかもしれません。
 その苦しみを苦しみで終わらせないためにも、そのままで神様のところへ行きませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.3放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■R30ラーメンとは? /水谷 潔

2025年08月01日 | Weblog

2025/5/2放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。

 静岡県にある有名ラーメン店一番の人気メニューは「R30ラーメン」だそうです。「R30」というのは映画鑑賞の年齢制限になぞらえた名前で、「30歳以上限定」という意味です。つまり大人の味ということでしょう。絶品の塩ラーメンなのですが、その名前の由来はラーメンにトッピングされている二つの野菜にあります。一つはミョウガで、もう一つは緑の野菜です。それは何だと思いますか? それは春菊です。
 確かに大人の味のラーメンです。子どもたちの多くは春菊の苦みを美味しいとは感じませんが、大人になるに連れ美味しいと感じるようになります。それは人生においても同じでしょう。

 旧約聖書の詩篇119篇71節にはこう書かれています。
  「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」

 この詩篇の作者は、自分が体験した苦しみは幸せだった、と評価しています。その理由を、苦しみによってあなたのおきてを学んだからだ、と詩人は言っています。

 「おきて」というと厳しそうに聞こえますが、それは神様が私たちの幸せを願って与えてくださる愛のことば、人生の指針です。
 少し前の67節には、「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。」とあります。
 ですから、神様を離れていた詩人は苦しみを通じて神様に立ち返り、神様のことばに生きる幸せを回復したのでしょう。

 ある牧師は言いました。「クリスチャンの人生の目的は苦しみをなくすことではなく、苦しみを実りあるものとすることである。」と。神様を信じ神様と共に歩む中にも苦しみはあります。しかしその苦しみの多くは、実りをもたらす苦しみ、振り返って幸せだったと言える苦しみです。
 苦しみはできれば避けたいものです。しかし、苦しみのない人生が豊かな人生だとも言えないでしょう。ラジオの前のあなたもイエス様を信じて、苦しみのない人生に勝る、苦しみを実らせる人生、苦しみを振り返り、幸せだと言える人生を歩みませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.2放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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