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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■困難の中で神の御前を歩む  / 岩井基雄

2012年01月06日 | Weblog
2012/1/6放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。2012年が始まり、一週間がたとうとしていますね。一年をどんなスタートで始められたでしょうか。早速ご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。

 今日の詩篇は56篇の13節です。「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

 この詩篇56篇はイスラエルの2番目の王のダビデが先の王サウルから逃げる途中に、ペリシテ人の陣営で敵に捕えられ、神からの不思議な助けと守りを経験した時に歌ったものです。旧約聖書の第一サムエル記によると、この時のダビデは狂った人の振りをして危機を脱したその事が記されています。とっさに取った行動とはいえ、能力も力もあるダビデにとっては狂人として扱われることは屈辱的なことだったのではないでしょうか。しかし彼はそれを神の助けであると捉え、命の光の内に神の御前を歩むためには必要だった、と言うのです。

 ダビデは他の人が自分をどう見るかということを怖れていませんでした。彼の心は神の前に自分がどう歩み生きていくかということに集中していたのです。ですから、屈辱的とも言えるような恥ずかしい態度を取ることさえ厭わなかったのです。

 神様は私たちを命の光の内に歩ませるために敢えて苦しみを与えるときがありますが、その苦しみから救い出す恵みをも与えてくださいます。自分の面子やプライドに固執して人の目を恐れることよりも神の前に真実に歩みことこそが大切であるとダビデにはわかっていたのですね。

 この一年私たちも命の危機や屈辱的な扱いに遭遇する時があるかもしれません。しかし、そのような中でも私たちには、すべてを創造された愛なる神様の御前をまっすぐに歩む道が残されているのです。

 もう一度13節をお読みします。「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。」 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2012.1.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■イエスにつまずかない  / 福井 誠

2012年01月05日 | Weblog
2012/1/5放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「イエスにつまずかない」です。それではマタイの福音書11章5節、6節から読んでみましょう。

 「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。


 バプテスマのヨハネと呼ばれる預言者がヘロデ王の怒りを買って牢獄に入れられていました。ヨハネがヘロデの結婚を非難したためです。暗い牢獄にありながら、人が正しく生きてもその正しさは報われない、とヨハネは空しく感じていたのではないでしょうか。

 当時救い主としてその活躍に期待を寄せられていたイエスにヨハネは弟子たちを遣わしました。あなたが本当に救い主ならばその救いを見せて欲しい。この牢獄から解放し、世の中の不正を正して欲しい、という気持ちがあったのでしょう。そんなヨハネにイエスが返されたことばは、「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」でした。

 イエスは身の回りで起こっている現象に注目するようにおっしゃいました。それは紛れもなくイエスがメシヤ(神から遣わされた救い主)であることを示すものです。しかし問題はイエスはヨハネを牢獄から解放した訳では無いということです。

 実は私たちの人生にもそういうことが沢山あるものですね。神様がいらっしゃるというのなら、どうして神様はあの問題この問題を即座に解決してくださらないのか。いつまでこの苦しみの中に私を捨てておかれるのだろうか。と、神様を信じられない、あるいは否定してしまうそのような気持ちになるものがあるものですね。

 しかし神様はそこで敢えて信じなさいと言います。何か突き離されたように感じるかもしれませんが、神様を信じるというのはそういうところがあるものなんです。望み得ぬときにこそ信じ神に期待していく。今日も神様を信じましょう。

  ( PBA制作「世の光」2012.1.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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■神は、計画する  / 板倉邦雄

2012年01月04日 | Weblog
2012/1/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神は計画する」という題でお話ししましょう。


 主なる神様はノアと家族に箱船を作るように命令しました。神様は命令するだけではなく、箱船の材料と設計図と将来の希望をお与えになります。そして何よりも、信仰をお与えになるのです。

 まず神様は設計するのです。箱船の作り方は次の通りでした。箱船の長さは300キュビト。1キュビトは大人の指先から肘までの長さ約45センチです。ですから箱船の長さは約135メートルです。幅は23メートル。高さは3階建ての14メートルでした。糸杉の木でできた3階建ての4万トン級の大型客船でした。

 次に神は将来を計画するのです。神様はノアとその家族とに契約を結んでくださいました。「わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。 」(創世記 6章18節 口語訳聖書)

 神様と共に歩んだノアに対して神様は一方的に契約してくださいました。神様を信じる生活は自分だけではなく、家族を救うことになるのですね。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒行伝 16章 31節 口語訳聖書)ということばは真実な約束です。

 更に神様はすべての動物や鳥、地に這う虫に至るまで、雄と雌のつがいを箱船に入らせるようにノアと家族に命じました。

 最後に神は私たちに信仰を与えてくださるのです。「ノアはすべて神の命じられたようにした。 」(創世記 6章22節、7章5節 口語訳聖書)とあります。新約聖書のヘブル人への手紙の11章7節に、こう書いてあります。「信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 」(口語訳聖書) ノアとその家族はまだ見ていない大洪水の事実を神の御ことばへの信仰によって見ていました。その神様への信仰はこれから100年ぐらいかけて箱船づくりという途方もない行動へと駆り立てて行ったのです。そしてこの世界を救う結果となりました。

 ( PBA制作「世の光」2012.1.4放送でのお話より )

 

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でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
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■誰に仕えて生きるのか  / 山中直義

2012年01月03日 | Weblog
2012/1/3放送

 世の光、火曜日担当の山中直義です。新しい年を迎えました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 誰に仕えて生きるのか、旧約聖書創世記31章には仕えるべき相手を間違えて苦しんだヤコブという人物が登場します。このヤコブは義理の父であったラバンに仕えてきました。20年もの間、それこそ奴隷のようにして必死に仕えてきたと言います。ところがラバンはいつまでたってもヤコブを愛することはなく、時に騙し、時に奪い、妬み、とうとう殺意まで抱くようになった、と聖書は言います。苦しみながらも懸命にラバンに仕えてきたヤコブです。が、彼はそもそも仕えるべき相手を間違っていたと言えます。

 いや、さらに言うならば、彼は自分自身に仕えたことで大きな苦しみを負うようになったと言えます。あのラバンに仕えたことももともとはヤコブ自身の考えから出たことでした。何が良いことで何が自分のためになるのか。すべてのことを自分で判断しすべてを自分でコントロールしようとする。そんな自分自身を主人とし、自分に聞きしたがって生きようとした結果、彼は自由や喜び、平安、すべてを失ってしまったのでした。

 誰に仕えて生きるのか。このヤコブのエピソードはそのことを私たちに問いかけているように思います。

 私たちは自分を信じ、自分の考えに従って生きるということをどこか当然のことと考えてはいないでしょうか。けれども聖書は本当にすべてを知っているのは、そして本当に私たちを愛し私たちを豊かに養い、自由と喜びを与えることができるのは実は私たち自身では無い、それはまことの神様お一人である、と教えています。まことの神様に仕えるその時に私たちは本当の平安や喜びをいただいて力強く歩むことができるのだと聖書は約束しているのです。

 誰に仕えて生きるのか、今一度立ちどまってゆっくりと考えていただきたいと思うのです。あなたを愛しあなたを守り導いてくださるそんな神様とあなたもどうぞ共に歩んでください。

    (PBA制作「世の光」2012.1.3放送でのお話しより )

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■排他的ですか? / 関根弘興

2012年01月02日 | Weblog
2012/1/2放送

世の光の時間です。新しい年を迎えました。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 ま、よくキリスト教は排他的だと言われることがあります。宗教はどの道おなじじゃないですか、と言われる人もいますよね。「分け登るふもとの道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」というような感じでしょうか。所詮行きつく所は同じなんじゃないですか? ま、そういうふうに考えていらっしゃる方もいると思います。でも本当に聖書が教えていることは排他的なのでしょうか。

 例えば私の息子が「お父さん。父親と呼ばれる存在はたくさんいるので、もうあなただけを父親と呼ぶのはよしましょう。」 (息子の父親は私だけ)これは排他的ですか? 違いますよね。子供が自分の父親だけにお父さんということは決して排他的ではありません。

 聖書を開くと最初のページに、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1章1節)と記されています。ですから聖書ではこの天地を創造された神様を「天のお父さん」と呼ぶことは、排他的ではなく最も相応しい呼び方だと教えているんです。

 またある人は言うでしょう。宗教は何を信じるかよりもその信仰の姿勢が、信じる心が大切なんじゃないですか? これももっともらしい意見だと思います。でも理解していただきたいんですが、信仰はその姿勢や心が大切なことはわかりますが、それ以上に大切なのは一体何を信じているのか、信じる対象が何かということのほうがはるかに大切なんです。

 病院に行ってお医者さんの態度や誠実さを誰でも大切にしますよね。でもお医者さんが薬を処方するときこう言ったらどうでしょう。「関根さん。薬なんてどれも同じようなものだよ。でもね、飲むときは真心こめて飲めばいいんですよ。だから棚に乗っている薬をどれでも持って行ってください。」 こんなことを言うお医者さんは一人もいないですよね。

 聖書は私たちに何と伝えているんでしょう。新約聖書ヨハネの福音書3章16節 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 このように記されています。聖書ははっきりと神様が私たちを愛していること、そしてイエス・キリストを信じる者に与えられる永遠の救いがあることを約束しているんですね。何を信じるのか、これは人生の最も大きな選択です。そしてイエス・キリストを信じ生きること、ここに救いがあることを聖書ははっきりと示しています。この一年、ぜひこのことを知っていただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」2012.1.2放送でのお話しより)

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