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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしがあなた方を休ませてあげます / 福井 誠

2012年01月19日 | Weblog
2012/1/19放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしがあなたがたを休ませてあげます」です。それではマタイの福音書11章28節から読んでみましょう。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 このことばで教会に行くようになった人はとても多いそうですねえ。それだけ疲れた心、重荷を負った人が多いということでしょうか。確かに考えてみれば、疲れたなあと思うことは有るものですねえ。体が疲れたというよりも、心が疲れた、生きる気力がない、もうどうでも良いと思うようなことが人生にはあるものですね。

 たとえば、世の中が不公正であるなあと思わされる時なんかはそうではないでしょうか。ずっと物事を真面目に苦労を重ねて生きてきたのに、ふと見ると、苦労もなくぬくぬくと甘い汁を吸って生きている人がいる。なんで自分もあのように要領よく生きてくることができなかったのか。不器用な人生を生きてきて、不器用にしか生きることができない自分を思って、何だか疲れたなあと思うことは有るものでしょう。まあその他、乗り越えがたい壁がある時などは心疲れる思いになることがありますよね。

 そんなあなたにイエス様は「わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言います。

しかし目に見えないイエス様にどうやって近づくというのでしょう。答えは簡単です。聖書を通してイエス様のことばに触れることですね。疲れた時にはまず聖書を開くことができれば良いのだと私は思うのです。そうすればあなたは、「あなたの労苦は主にあって無駄ではない」(1コリント 15:58参照)と語ってくださっているイエス様に出会うことでしょう。また「わたしはとこしえまでもあなたと共におり、あなたを捨てない。」(ヘブル 13:5参照)と語ってくださるイエス様に出会うことでしょう。

 私たちはただ一人で荷を抱え込み途方に暮れる必要はないのです。主の配慮を覚えて、主の確かなことばを信じたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2012.1.19放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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■閉ざされた生活 / 板倉邦雄

2012年01月18日 | Weblog
2012/1/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「閉ざされた生活」という題でお話ししましょう。

 動物たちと一緒に閉じ込められた生活をしたことがありますか? しかも一年近くです。ノアと家族は箱船の中で閉ざされた生活をしました。ノアが船に入り洪水が始まった時、「(神)は彼のうしろの戸を閉ざされた。」と創世記の7章16節に不思議なことばが書かれています。 ノアが箱船の後尾の戸を閉めたのではなく、神様がノアを箱船の中に閉じ込めたと書いてあるのです。そこからは再び自由に出られないようにです。もし自由に出入りできたら危険ですし、命を落とすことになるでしょう。

 大洪水は40日の間地上に続きました。 箱船は一枚の木の葉のように漂流しているのです。水かさは増し、山々も水をかぶるほどになりました。150日すなわち5ヶ月の漂流生活をしたと聖書は記しています。その間、閉じ込められた生活を強いられました。

 私たちは束縛されることを嫌います。いつでも出られる自由を残しておきたいのです。言い換えれば後ろの戸を開けておきたいのでしょう。しかしながら閉じ込められて束縛されてしまう時があります。それは親の介護であったりあるいは病気になったりする時でしょうか。あるいは一人前のプロフェッショナルになるためかもしれませんね。

 ノアはこの閉ざされた日々を神様からの将来に対する訓練と好意として受け止めることができたのではないでしょうか。私と私の家族、そしてこれからの新しい世界作りのためという目的と希望のある閉じ込められた生活でした。ですからノアは丸一年もの長い間動物たちの泣き声と糞尿の臭いの中で生き物と共に箱船にとどまることができたのです。

 私たちもしばしば後ろの戸を閉じられる束縛の生活がありますねえ。それを神が私と私の家族のために閉じてくださったのだと信仰と希望を持って受け止めて参りましょう。

 聖書のことばです。

 「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。」 第一コリント人への手紙13章13節 (口語訳聖書)

 ( PBA制作「世の光」2012.1.18放送でのお話より )

 

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通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
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■1995年1月17日を振り返って  / 山中直義

2012年01月17日 | Weblog
2012/1/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 今からちょうど17年前の今日1995年1月17日は阪神淡路大震災が起こった日です。6300人以上の死者を出したあの震災は多くの人々の生活を一変させ、すべてのものを揺り動かしました。その日私もまた被災地で大きな揺れを体験し、かつてない混乱と災害の中を過ごすことになりました。

 早朝に起こった地震の直後、私は外に出たのですが、いつもとは全く異なる風景を目にしました。世が明けかかる中、すべての電気が止まって不思議な静けさが覆う町を多くの人々が動揺と不安を抱えた表情で歩き回っていました。当時一人暮らしをしていて私はやはり被災地にあった実家の両親が心配になり、オートバイを走らせました。信号が止まった道、崩れ落ちた家やビル、行き交うパトカーや消防車のサイレン。目の前の現実はまるで夢の中の出来事のようでした。そうしてたどり着いた実家は建物こそ無事でしたが、家の中はまるでミキサーにでも掛けられたように散乱していました。祖母は大体骨を骨折し、父も疲れ果ててはいましたが二人とも何とか無事でした。母のことを尋ねると、母は私の安否を心配して私が住んでいたアパートに車で向かってくれたとのことでした。あとで聞いたことですが、多くの家屋が無残に倒壊してるのを見ながら母は私がもう死んでしまったかもしれないと思ったそうです。昨日までそこにあった生活が一変し、それまで何気なく捉えていたすべてのものが揺り動かされ、そうして体験したことのない不安と混乱の中に放り出される。そんな体験の始まりでした。

 次回の放送では震災後の避難所で体験したことをお話させていただきたいと思います。今日は最後に聖書のことばをお読みします。

 「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。」 旧約聖書 詩篇46篇1節から3節

    (PBA制作「世の光」2012.1.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■心の人柄を飾ろう / 関根弘興

2012年01月16日 | Weblog
 2012/1/16放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 新約聖書の舞台となった時代はローマ帝国の時代でした。当時のローマ社会では非常識と思える贅沢が沢山あったそうです。沢山の装飾品をつけて豪華な着物を着て、そして豪勢な食事をいただく。あたかもそういったことが人生の成功を表すかのように考えられていた時代でした。

 まあそういう社会にイエス・キリストの福音は伝えられていった訳ですけれども、弟子の一人ペテロはこんなことばを書いています。
「あなたがたは心の中の人柄を飾りなさい。柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを飾りなさい。」(1ペテロ 3章4節参照) このように勧めたんですね。

 ま、今の時代はどうでしょうか。なんかいつもイライライライラしているような時代、待つことができない時代。忍耐することは苦手で、すべてが瞬時に達成されないと我慢できないような時代ですよね。そういう中で人柄を飾るということのためにどうしたらいいんでしょう。そのために私は大切な二つのことをお伝えしたいと思うんです。

 第一は、あなたの一週間のリズムを心を静めるというひと時から始めるということです。キリスト教会では日曜日に必ず礼拝があります。ですからこの礼拝を大切にしていただきたいと思うんです。人は場所を変えることによって心も整えられていきます。もちろん家でのんびり過ごすことも大切です。それと共に週の初め、教会という場所で神様の前に心を静め、讃美歌を歌い、聖書のことばを心にいただくこと、これが人生の基本となり、あるべき人生のサイクルを生み出していくんですね。あなたの中に穏やかな霊を作り出す源となっていきます。

 二番目は、生かされていることへの感謝を溢れさせるということです。感謝のない人生を考えて見てください。愚痴と不平ばかりの人生なんて考えただけでもつまらない人生ですよね。そして人も遠ざかっていくでしょう。でも人生にはいろんなことがあるんですけども、でもニコッと微笑み、「神様。今日生かされてこうして人生を送れることを感謝します。」と勇気を持って声を上げてみませんか? 冗談じゃないよ、感謝なんて何一つないさ、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でもそれはただあなたが感謝すべき沢山のことに気づいていないだけなんです。神様に対して、人に対しても「ありがとう」って言えるそんな素直さは人生を限りなく豊かにしていきます。

 聖書のことば

 「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」(エペソ 5章20節)

 (PBA制作「世の光」2012.1.16放送でのお話しより)

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■どのように生きるか  / 羽鳥頼和

2012年01月14日 | Weblog
2012/1/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 去年の震災後、電気や水などのライフラインの確保が大きな関心事になっています。そのような中でエコということばが多く用いられるようになりました。また、原発の事故で食事や健康などへの関心が高まっています。物質的な豊かさを目指していた私たちは大きな方向転換を真剣に考えなければならないようになってきています。その中で地産地消によりのんびりと生活をするスローライフや限られた資源を大切にして再生可能エネルギーを活用するエコライフといった生活様式が注目されています。

 ことわざに「足るを知る者は富む」というのがあります。人間の欲望は際限がない、欲を捨てて自分の境遇に満足できる人間は心豊かで精神的に富んでいる、という意味です。この足るを知るという精神がスローライフやエコライフを支える精神と言えるでしょう。

 聖書のテモテへの手紙第一6章6節から8節に、この足るを知ると同じ精神が教えられています。
 「満ち足りる心を伴う敬けんこそ、大きな利益を受ける道です。」と。

 そして聖書は続いて満ち足りる心を持つことができる理由を教えています。その理由とは、「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」と教えているのです。ここでの満ち足りる心・満足とは自分に必要なものを神様が与えてくださり、そのことを感謝し喜ぶ心のことです。

人は何も持たない裸のままで生まれます。そして人は必ず死にます。死ぬ時どんなに多くの物を持っていてもそれをあの世まで持っていくことはできません。しかし何も持たずに生まれてもこの世で必要なものは神様が与えてくださるので安心です。その上、救われた人は天国で神様から沢山の恵みをいただくことができるのです。このことを覚えていればこの世で満ち足りる人生を送ることができるのです。

 この世にあって神様に心を向けて、今あるものに満足しましょう。そうすれば神様は幸せな人生を与え、天国で永遠に幸せに生きる希望を与えてくださいます。

 あなたに幸せな人生を与えてくださる神様を知るために、ぜひキリスト教会にいらしてください。
 
  ( PBA制作「世の光」2012.1.14放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人を赦す心 / 岩井基雄

2012年01月13日 | Weblog
2012/1/13放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。私たちはなかなか人を赦すことができないことがありますねえ。「仏の顔も三度まで」と言いますが、このさんの三度までという回数は聖書のイスラエルの社会にもあったようです。

 イエス・キリストの弟子であるペテロがイエスに尋ねました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」(マタイ 18章21節) 通常、三度までと考えられていましたので、七度にすれば誉められるとペテロは思ったのでしょうか。しかし驚いたことにイエスは「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」 そのように答え、そしてそれは完全に友を赦しなさいという意味でした。

 そのあとイエス・キリストはこんな話を続けたのです。
 ある王様が僕(しもべ)の一万タラントの借金を全部赦してあげたのに、赦された僕は100デナリの借金の返済を友人に執拗に迫り、返せない友人を牢屋に入れてしまった。それを聞いた王様はこの僕を赦すのをやめて牢屋に入れたという話です。

 この王様とは神様のことであり、この僕(しもべ)は私たちのことです。私たちは一万タラントすなわち17万年から20万年分の給与に相当するような借金、それを超えるような膨大な額の罪を神様から無条件に赦された、いや赦されることができるにもかかわらず、自分にささいな罪を犯す友を赦すことできない、そういう存在なのですねえ。

 そしてイエス・キリストはこう続けました。
 「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」」 新約聖書マタイの福音書18章35節

 私たちが誰かを赦すこと、それは神様からの赦しに関わりがあると言うのです。逆に言うと神様からの罪の赦しを豊かに受け取る時にこそ私たちは友の罪をも心から赦すことができるのです。誰かを赦すことができず憎しみや憤りに心を虫食まれる時、その心の癒しは、私たちの罪を完全な愛と憐れみで赦してくださる神様の許にしかありません。あなたも人を心から赦すことのできる愛の人・愛の器へと変えられる歩みを始めませんか? 神様はあなたを心から愛し、あなたを赦そうと待っていてくださいます。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2012.1.13放送でのお話しより)

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■幼子になろう  / 福井 誠

2012年01月12日 | Weblog
2012/1/12放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「幼子になろう」です。それではマタイの福音書11章25節から読んでみましょう。

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。

 長く牧師として様々な人に接して思うことですが、やはり謙虚な人というのは多くのことを学ぶものだと思うところがあります。人というのは大体自分の考え方というものがありますねえ。自分の考えが何もないという人はまずいないことでしょう。むしろどうも自分の考えに固執して自分の考えがまず正しくて譲れないという人と、自分の考えを持ちながらも相手の考えをまず無色透明によく理解しようと謙虚に物事を受けとめていく人がいるものですね。

 イエスはそういう意味で賢さや知恵あることの愚かさというものがあることを語っているようですね。確かに賢く知恵あるということはうらやましいことなんですが、鼻持ちにならない賢さや知恵というものもあるものです。そういう人にはなかなか神様の話をしても不合理なお話であると受け入れられないことがありますし、そんな話を聞いても無駄、馬鹿げていると決めつけてしまう、そういうことがあると神様はそれ以上何も現わされないということがあると思いますね。

 しかし、謙虚に不合理であっても理解しようと耳を傾ける人には、神様はその耳を開いてくださるわけです。あなたは聖書の話を聞いていてよく理解できないなあと思うことはありませんか? そのような時には、自分の理解不足について率直に神様に祈ってみてください。ちょうど子供が分からないことがあればいつでも「なぜ?」という問いを発するように、分からないことを恥ずかしがらずに大人に尋ねる子供のように素直になって、神様に「聖書の真理を分からせてください。」と祈るのです。そうすれば神様はあなたの心を照らしてあなたに聖書の真理を悟らしてくださることでしょう。神様に謙虚に求めていきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2012.1.12放送でのお話より )

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■不思議な決別  / 山中直義

2012年01月10日 | Weblog
2012/1/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。新しい歩みを始めるために古い生き方に別れを告げる必要がありますよね。ですがこの古い生き方と決別するということは決して簡単なことではありません。

 旧約聖書創世記31章に不思議な決別ということを描いたエピソードがあります。そこでの主人公ヤコブは義理の父ラバンのもとで奴隷のように仕えていました。20年もの間、悩み傷つき苦しみ抜いていたヤコブはある時とうとう、そんな生き方をあとにしよう、と決意しました。ですがヤコブが出した結論はごまかしたまま逃げ出すというものであったと言います。

 ラバンに正式に別れを告げぬままラバンのもとで得たすべてのものをこっそりと持ち出して逃げる、そんな生き方をヤコブは選んでしまいました。ですが決別べきものと決別しようとしなかったヤコブはすぐにラバンに追跡され、いとも簡単に追いつかれてしまいます。そして怒りに萌え殺意を抱いたらラバンが彼にこう言い放ちました。「あなたは全く愚かなことをしたものだ。」 決別すべき古い生き方に決別しないでごまかしたまま生きる、それは本当に愚かな生き方そして危険な生き方だと言えます。

 しかしここで不思議なことが起こったと聖書は言います。あの愚かなヤコブに意外にもラバンの方から別れを申し出たというのです。ラバンが言うには、この前の夜、神様が夢に現れてヤコブと事の善悪を論じるな、と命じられたというのです。恐れに縛られ過去のものに縛られて古い生き方と決別することができなかったヤコブ、そんなヤコブを神様があわれみ、何とかして新しい歩みを始めさせようと不思議に助けを与えてくださった。そうしてヤコブは新しい歩みへと踏み出して行った。聖書はそう言うのです。

 今の私たちにも同じ恵みが与えられています。もしあなたが神様以外の何者かの奴隷のようになって苦しんでいるなら、そしてそんな生き方と決別することを望んでおられるなら、神様は必ずあなたを助け、新しい歩みへと導いてくださいます。信じるならあなたも新しく歩み出すことができる。聖書はそう約束しているのです。

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■救いは上から  / 関根弘興

2012年01月09日 | Weblog
 2012/1/9放送

 世の光の時間です。元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 聖書で約束していることは、それは救いがあるということです。あなたがもし溺れている人を見つけたらどうしますか? 岸から溺れている人に「今からクロールの泳ぎ方を教えるから頑張れー!」と励ましますか? それはちょっと難しいですよね。誰かが浮き輪を投げるとか、飛び込んでその人を引き上げなければ助けることができません。救いとは一体何でしょう。それは上から差し伸ばされた手なんです。真の救いはあなたの努力であなたの頑張りで善行や修行で得られるものではないんです。一方的に上から伸ばされた手によらなければ救いはないんですねえ。

 ある時イエス・キリストのもとにニコデモという人がやってきました。彼は当時のユダヤ社会のリーダーの一人で、教育においても政治・宗教的な面においても尊敬されていた人物であったようでした。しかしそんな彼が夜こっそりイエス・キリストのもとにやってきたんです。

 イエス・キリストはニコデモにこう言いました。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ 3章3節参照) こう言ったんですね。ニコデモは人々から尊敬されていましたが、歳を取り、本当に自分の人生が終わったらこの先どうなるのだろう、自分の人生に確信を持つことができなかったようでした。そんなニコデモにイエス・キリストは、人の本当の救いは新しく生まれる以外には得ることはできないんだ、と語られたんですね。

 この「新しく」と訳されたことばはギリシャ語の直訳では「上から生まれなければ」というふうになっているんです。本当の救いはいつも上から差し伸ばされていくことなんだ。人の救いは自分の努力・修行ではなくて、神の独り子なるイエス・キリストがこの地上に来られ、この方が私たちを救うために来てくださったことによるのだと聖書は教えるんです。

 イエス・キリストは決して遠巻きに私たちを見て講釈する方ではありません。私たちのこの世界に来て共に住み、私たちのすべての罪を身代わりに背負い、十字架で罰を受け、死んでくださるほどのお方です。そして三日目によみがえり、イエス・キリスト御自身が語られ行なったことが誠に確かであるという事をご自分で証明されました。このイエス・キリストは今も生きていて、救いの手をあなたに差し伸ばしているんです。

 覚えてください。人は上から差し伸ばされた手以外には救いを得ることができないんです。イエス・キリストはあなたに御自分の手を差し伸ばしているんですね。

 (PBA制作「世の光」2012.1.9放送でのお話しより)

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■クリスチャンとはどんな人?  / 羽鳥頼和

2012年01月07日 | Weblog
 2012/1/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今年初めての土曜日ですね。今年もぜひ世の光をお聴きください。皆さんの上に神様の守りと恵みが豊かにありますように。

 さて、あなたはクリスチャンにどんなイメージを持っていますか? マザー・テレサのような人でしょうか。とするならば、愛に満ちた人というのがクリスチャンのイメージではないでしょうか。

 確かにクリスチャンは愛に満ちた人です。しかし、クリスチャンは最初から愛に満ちた人なのではありません。聖書は愛に満ちた人になることがクリスチャンの目標であると教えています。

 テモテへの手紙第一1章5節に、「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。」とあります。クリスチャンが目標とする愛は、きよい心正しい良心 ---この良心は良い心と書く良心です---- 、そして偽りのない信仰とから出てくる愛なのです。

 「正しい良心」とは興味深い表現です。普通は良心は正しいものではないでしょうか。しかし聖書では人の良心はその人の罪によってゆがんでしまっていると教えているのです。聖書では罪は「的外れ」という意味のことばが使われています。ですから罪とは人が神様から離れている状態であることを表し、また罪によって人の全人格がずれてしまっていることをも表しているのです。イエス・キリストによる救いはこのような罪の状態から人を救い出し、その人をまことの愛に生きるものとするのです。

 「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。」との表現は、クリスチャンが自分の罪を深く自覚していることから出てきたことばです。自分が罪人であることを認めることは辛いことです。しかし、自分の罪を認めるならば神様は罪からの救いと共に真の愛を与えてくださり、愛に満ちた人としてくださるのです。

 キリスト教会はクリスチャンの集まりです。そのクリスチャンは聖人君子ではありません。イエス・キリストを信じて神様からの愛をいただいて愛に満ちた人になることを願うのがクリスチャンです。あなたも愛に満ちた人になりたいと思いませんか。その人はぜひ教会にいらしてください。
 
  ( PBA制作「世の光」2012.1.7放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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