♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■外側と内側を造った方 / 板倉邦雄

2016年01月27日 | Weblog
2016/1/27放送

 板倉邦雄です。 今日はですね「外側と内側を造った方」という題でお話ししましょう。

 「ぼろは着てても心は錦」という歌があります。逆に新築の家でも玄関に入ったらゴミ屋敷という現実もありますねえ。とかく私たちは外側だけを気にして内側は余り注意しない傾向にあるようです。

 さてイエス様が人々にお話をしておられる時でした。一人のパリサイ派・分離主義者(※律法を守らない人々から自分たちを分離 )に属している人がイエス様に申し出ました。「先生、私の家で一緒に食事をしていただけないでしょうか。」 イエス様と弟子の一行はパリサイ派の人の申してを受け入れ、家に入って食卓に着かれました。ところが、イエス様一行が食事の前に手を洗うことをしなかったのです。それを見てパリサイ派の人は不思議に思いました。驚いたのです。

 当時の人々は外から帰ったら、必ず手もちろん足も洗いました。食事前の衛生的なことからではなく宗教的な面から食事の前に手を洗わないことは神様の前で汚(けが)れた人間になってしまい神様に受け入れてもらえないと考えられていたのです。

 そこで主イエスは食事に招いてくれたパリサイ分離主義者に言われました。
 「あなたがたパリサイ派の人々は杯やお盆の外側を清めますが、あなたがたの心の内側は貪欲と邪悪とで満ちています。愚かな人たちだ。神様は外側だけを造られたのですか? そんなことはありません。神様は内側も造られたのです。だからまず内側の心を強めましょう。内面の清さは行いに現れて来るからです。そうすれば一切があなたがたにとって清いものとなるのです。」  (参照 ルカ 11章37~41節)

 「人は外の顔や形を見る。しかし主なる神は心を見る。」(参照 サムエル記第一 16章7節)ということばが聖書にあります。私たちは心を見られる神様よりは人の目を気にして生きていないでしょうか。そのため内側の心よりは外側の姿や形だけにこだわってしまうようです。しかし、実際は内側の心が私たちの外側を形造って行くのです。

 聖書のことばです。
 「あなたがたは髪を編み、金のアクセサリを付け、服装を整えるような外面の飾りではなく、隠れた内なる人、柔和でしとやかなあ霊という朽ちることのない飾りを身に着けるべきである。これこそ神の御前に極めて尊いものである。」
             (参照) ペテロ第一の手紙3章3節と4節 

 (PBA制作「さわやか世の光」2016.1.27放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■主の祈り - 47 / 大嶋重徳 | トップ | ■神に会わせるために / 板... »