♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り - 47 / 大嶋重徳

2016年01月26日 | Weblog
2016/1/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。主の祈りは「我らを試みにあわせず悪より救い出だし給え」ということばで祈ります。

 この祈りは、神様に弱さを持っている私を助けてください、という祈りです。私たちは自分の弱さを認める祈りをしているでしょうか。私たちは自分の弱さを告白しない所があります。「以前は神様に助けていだきましたが、最近ではもう大丈夫です。」あるいは逆に、弱さに開き直り、この弱さはどうにもならないと諦め、神様の前に祈りを差し出さないということがあります。祈れない弱さとはこういうことなのです。弱さを祈り得るならばそれは強いのです。更に言うならば、祈られなければ本当の意味で強く立つことなどはできません。

 私は「罪の告白を聞いてください」と求めて来る人に与えられた信仰の強さを思います。犯した罪を隠したままにしていることの方が簡単です。しかし自分一人だとまたその罪に陥ってしまうかもしれない。だから「聞いてください。私と一緒に祈ってください。」と言える人は悪の誘惑から守られる唯一の道を知っている人だと思います。

 主の祈りは「我ら」と祈る祈りです。試みられた時に、私たちは一人で抱えているのではなく、共に抱えてもらい、祈ってもらう必要があります。私たちは祈られなければ強くあることはできないのです。本当に強い人とは、「助けてください」と言える人でしょう。「助けなど要らない。自分は自分でやれるんだ。」ということばには自分の弱さを認めることのできない弱さがあるのです。

 聖書に出て来るパウロという人は、「祈ってください」と言える人でした。ピリピの教会に、エペソの教会に、「こういうことがあって自分は大変だ。祈ってください。」(参照エペソ 6:19-20、コロサイ 4:3-4)と言うことできました。祈られることこそ大切なことです。祈りあうこと、これが祈りなのです。祈りは必ず祈り合う所へと向かっていきます。祈り合う強さがそこで生まれていくのです。ぜひ番組にお便りをください。番組のスタッフ一同、皆さんのことを祈らせていただきたいと願っています

  ( PBA制作「世の光」2016.1.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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