お元気でいらっしゃいますか? 世の光の榊原 寛(ひろし)です。
明日はいよいよクリスマス・イブ。そして25日、クリスマスを迎える訳ですね。お元気でお過ごしでしょうか。
さて今日は、新約聖書のピリビ人への手紙の2章の6節、7節を通して、クリスマスはこれだと聖書が言っているところを御紹介申し上げてみたいと思います。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
実はキリスト御自身は神の御姿、神御自身であられた方なのに、その神のあり方を捨てることができないとは考えないで神のあり方をお捨てになって、そして御自分を仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたというのです。つまり、あの家畜小屋の家畜小屋の中にオギャーと生まれたイエス・キリスト御自身、少年時代をナザレという村に過ごし、そして30歳になりましてから3年間というわずかな年月、公の生涯をもってあの人々からの裏切りや憎しみを受けながら十字架に追いやられていく生涯。それは実は神御自身が私という人間そのものになってくださった。つまり、私の身代わりになってくださったのだと聖書は言うのです。その、そもそもの初めがクリスマスなんだ。
ですからですねえ、私たちはイエス・キリストを、このクリスマスのキリストの誕生日をこんなに世界的にお祝いする理由はここにあるのです。つまりキリストは、神御自身であられたのに、そのお姿を捨ててまで私という姿をとって、私の身代わりになってくださった。
本来、私たちは神の前に罪人として裁かれるべき、神の怒りを受けて永遠の滅びに向かうべき罪人ではなかっただろうか。
ヨセフに神の御使いが語ったことばの中に、こんなことばがあります。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。
神様はあなたのことを、私のことを、御自分の民と呼んでくださいます。そして私を神の怒りや裁き、そして永遠の滅びから救ってくださるためにイエス・キリストをこの世にお遣わしになったのだ。キリスト自身が神でいらっしゃるのに、人間そのものになり、私そのものになって私の身代わりになってくださったんだ。実は、その方の誕生日。だから祝うべきなんだということなんですねえ。
罪からの救い、こんなイエス・キリストとの出会いを経験していただきたいと思います。
(PBA制作「世の光」12/23放送でのお話しより )
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