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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■不信の罪を負って / 板倉邦雄

2016年11月23日 | Weblog
2016/11/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「不信の罪を負って」という題でお話ししましょう。

 聖書で「罪」というとき、法律を犯す罪、倫理道徳の罪だけではなく、主なる神様に対する不信仰の罪、すなわち宗教的な罪があると言うことです。そして私たち信仰者は不信仰の罪を背負って生きなければならないということです。

 さて主なる神様はモーセとアロンに言われました。
「わたしに向かってつぶやき、不信の罪を犯したこの悪い会衆をいつまで忍耐することができようか。わたしはイスラエルの人々がわたしに向かってつぶやくのを聞いた。あなたは人々に言いなさい。『主なる神様はこう言われる。わたしは生きている。あなたがたがわたしの耳に語り、つぶやいたようにわたしはあなたがたにするであろう。あなたがたはこうつぶやいた。ああ私たちはエジプトの国で死んでいれば良かった。この荒野で死んでいたら良かった。神よ、なぜ私たちを連れ出して剣で倒れさせ、私たちの妻子を餌食にされるのか。エジプトへ帰った方がいいのに。このつぶやきの通り、あなたがたは死体となってこの荒野に倒れてゆくであろう。あなたがたの内、私に向かってつぶやいた者は、すなわち二十歳以上の者は、みな倒れるであろう。カレブとヨシュアだけは別である。しかしあなたがは餌食になるだろうと言ったあなたがの子どもは私が導いて約束の地に入るであろう。子どもたちはあなたがたが卑しめた地を知るようになるのだ。しかしあなたがたは死体となってこの荒野に倒れるであろう。あなたがたの子どもたちは、あなたがたの死体が荒野で朽ち果てるまで四十年の間荒野で羊飼いとなり、あなたがたの不信の罪を負うことになるだろう。あなた方は約束の地を探った四十日の日数に従って、その一日を一年として、四十年の間自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう。』」

 さて、つぶやきというものは主なる神様への不満と疑いの現れなのです。不信の罪を私たち信仰者は、この荒野の人生において償っていくことになるのでしょうね。「すべて信仰によらないことは、罪である。」(ローマ人への手紙14章23節 口語訳聖書)、という聖書のことばが響いて来るようです。

  (PBA制作「世の光」2016.11.23放送でのお話より )

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