goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■永遠の命に生きる / 関根弘興

2017年04月28日 | Weblog
2017/4/28放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。それでは聖書のことばをまず紹介いたしましょう。
 新約聖書ヨハネの手紙第一5章11節
 「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 聖書は、御子すなわちイエス・キリストを信じる一人ひとりに永遠のいのちが与えられる、と約束します。永遠のいのちは決して長生きということではありません。永遠とは決して尽きることがないということです。いつまでも続き、失われることが無いいのちがある、というんですね。日本語の「いのち」は「息の内」が省略されて出来たことばだそうです。つまり息をしている内が人生だ、死ねば終わりだ、という至って合理的なことばだそうです。でも死ねば終わりといういのちなら、それは決して永遠ではありませんね。

 しかしイエス様は、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ 11章25 節)と約束されたんです。つまり私たちの肉体のいのちを超えたいのちを与えると約束されました。そしてこの永遠のいのちに生きるとき、三つのことを私たちは知ることができるんです。

 第一は、失われることのない希望です。永遠のいのちなのですから死をも乗り越えていくいのちです。ですから死は決してすべての終わりではありません。決して失われることのない希望に生きる者と導いていくのです。

 二番目は、いのちはそこに応答があるということです。死は応答のない世界ですよね。どんなに叫んでも決して応答しません。しかしそこにいのちがあるときに応答が始まります。永遠のいのちが与えられているということはいつも応答可能だということなんです。どなときにもイエス様によって祈り、叫び求め、聖書として語りかけられることばを聞きながら神様との応答の中で生きることができるんです。

 そして第三は、いのちの実を結ぶということです。リンゴの種を蒔いたらリンゴがなります。桃の木を植えれば桃がなります。そこにはいのちがあるからです。ではこの永遠のいのちが与えられて生きるとき、このいのちは何をもたらすのでしょう。それは私たち一人ひとりに、愛、喜び、平安、寛容、柔和、誠実、自制、このような実を少しずつ実らせていくものとなるのです。

 イエス・キリストを信じる者はこのいのちに生かされていくんですね。
 
 (PBA制作「世の光」2017.4.28放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■唯一の道筋 -4 / 大嶋重徳 | トップ | ■都のぼりの歌 / 羽鳥頼和 »