おはようございます。世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、よくただ信じればいいんですよっていうふうなことをまあ教会で言われたりですねえ聖書はそう言っているというふうなことなんですけれども、ただ信じればと言ってもですね訳も分らないのに、つまり「鰯(イワシ)の頭も信心から」とかですねえ、キツネの尻尾も何とかだとかですねえ、そういうような曖昧なものではなくってむしろ事実を事実として認めるっていうとことから信仰は始まるんですねえ。で、その事実を事実として認めるっていうことは二つの事実を認めるっていうことがその中に含むんです。
その一つは、私たちはみんな間違いを犯している罪人だっていうこと、そしてその結果私たちはやがて死を迎えるというその死という事実ですね。この罪という事と死というのは誰にとっても間違いのない事実ですねえ。それをみんなそうだよっていうことではなくって、私にもどうしようもない間違いがあるなあ失敗があるなあ、これじゃいけないと思いながらどうしようもならないものがあるなあというような、それは私にとって事実だ。そしてやがて死を迎えるということ。これは事実だという(こと)。もしも全然私は失敗などしたことがない、私には罪なんて一切ない、私は死なないよ、というお方がおられたらその方はイエス・キリストを信じるなんて言う必要はないんですね。まずこの事実が自分にとってどうなのかっていうことを認めること。
第二番目のことは、どうしようもない私たちの 罪と死という問題に対してイエス・キリストは確かに十字架の上で罪の決着をつけてくださった、死からよみがえってくださったというこのことは事実なんだという、事実として認めるってことなんですね。イエス・キリストの歴史的な存在を否定できる歴史家はおりませんね。キリストの十字架は、これはまぎれもない事実、よみがえってくださったことも事実なんです。それは私たちの罪を解決し、そして私たちをその罪から救って永遠に生きることができる保証となってくださったという、これは歴史的な事実に基づいていることなんですね。
自分がだめだっていうことが事実であるならば、神が私のためにすべてのことをなし終えてくださったということも事実。この事実をそのまま認める時に、私たちはただ信じるという他にないといいましょうか、ごめんなさいと言うことと、そしてありがとうございますと言うこの二つの方法をもって受け入れる、これが信じるってことなんですねえ。
(PBA制作「世の光」2005.7.20放送での村上宣道(のぶみち)ラジオ牧師のお話しより )
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