2020/7/15放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがありますね。今日も聖書を開いて参りましょう。今日はエレミヤ書6章29節、30節から「捨てられた銀」と題してメッセージをお伝えいたします。
吹子で激しく吹いて、鉛を火で溶かす。鉛は溶けた。
溶けたが、無駄だった。悪いものは除かれなかった。
彼らは捨てられた銀と呼ばれる。【主】が彼らを捨てられたのだ。
「ふいご」とありますが、皆さんは古代のふいごを実際に見たことがあるでしょうか。私は何年か前にイスラエルのヘブライ大学の発掘調査に参加して、そこでまだイスラエルでも四つしか発見されていない石でできたふいごを見つけたことがあります。それは大きな丸い臼のような石で、真ん中が窪んでいました。おそらくその石に獣の皮を膨らむような形でかぶせて、上から圧縮空気を噴き出す装置にしたわけですね。
さて、このふいごは金属を溶かし、貴重な貴金属を取り出すために用いられました。神様はふいごのイメージを使って、当時のイスラエルの民に激しい火のような試練を与えて、その人間性を試されたのだけれども、それは無駄だったと言います。
箴言には、「愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦と一緒についても、その愚かさは彼から離れない。」(箴言27:22)ということばがあります。
人間の愚かさ、罪深さは根深く、それを取り除くことはできない。もはや罪まみれの人間は矯正し得ないので、捨てられた銀とするしかない、というわけですね。
けれども、これでは先週まで読んできたイザヤのメッセージといささか矛盾しています。先週は、神様は過去の罪過ちをすっかり忘れてくださる愛の方だとお話ししました。しかし、ここではだめなものはだめ、と切り捨てる神様の姿が描かれています。
けれども聖書を一面で捉えてはなりません。聖書は断片的にではなく全体を通して理解しなくてはなりません。神様はそのような言い方をしながら悔い改めを求めておられるのです。まだ読み始めたばかりのエレミヤ書、ぜひ最後まで読み続けて、エレミヤが語る神の愛の深さを知っていただきたいと思います。
では良き一週を祈ります。
(PBA制作「世の光」2020.7.15放送でのお話より )
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