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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主のことばのとおりであった / 福井 誠

2023年02月27日 | Weblog

2022/8/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、列王記第二24章2節 から「主のことばのとおりであった」と題してお話しします。

 「主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。」

 今日から一週間は、私、福井誠が担当します。今日は、第二列王記の24章から見てまいります。なぜ、こんな中途半端なところから?と思われる方もおられるかもしれませんが、ウェブ上でパスターまことの聖書通読一日一生(https://stand.fm/channels/5f7936a9f04555115df5827a)をご覧になってこられた方は、ちょうど今日、この箇所になるので続きのお話というわけです。

 列王記はイスラエル王国の興亡を描いた歴史書ですが、そこにはさまざまな人生の教訓や知恵が語られています。興味のある方は、ぜひ教会へ行って聖書をひもとき、聖書の世界の素晴らしさを感じてください。

 さて、今日の箇所はイスラエル王国末期、エルサレムが陥落する時のストーリーです。聖書は、イスラエルが滅びたのは彼らの悪のため、神の裁きによると言います。確かに、この時代、イスラエルには神を敬わず、悪政を行う王様が相次ぎました。

 けれども、そこで神は悪い王様を切り捨てたのだと考えてはならないのでしょう。「神は愛」とは言うものの結局、反抗する者はばっさり切り捨てる程度の愛ではないか、ではないのです。神は赦しに富み、いつでも罪人が悔い改めることを待っておられます。

 しかし、罪人がその愛を認め、神に向かうことがない限り、神の愛も赦しも起こりえません。つまり、神のことばを拒み退ける結果として、人は自ら神の裁きを招き、滅びに至るのです。

 ですから逆に、神を愛の方と認め、神をおいて他に自分を救うものはない、と神にしがみつくなら、神の豊かな愛を受けることになります。

 神をどのような方と見ていくか、それが人生の幸せの分かれ道だと言えます。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.29放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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