「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? インマヌエル桂町キリスト教会の矢木良雄です。
私はまもなく後期高齢者の仲間入りをします。この歳になって、いまだに大学受験の夢を見ることがあります。うまく行かなかったというのが理由なのですが、乗り越えられなかった人生のドン詰まり、そのトラウマが記憶に深く刻まれているのです。
新約聖書のヨハネの福音書11章は、愛する弟を病で失った二人の姉たちが出ています。マルタとマリヤです。弟のラザロの病気は重くなる一方です。弟が危篤という知らせをすぐにイエス様に伝えます。でもイエス様は来てくださいませんでした。イエス様が来られたのは何と4日も経ってから。葬儀も終わり、埋葬も済んで悲しみに浸っているところにイエス様は来られたのです。
ところが何とイエス様はおっしゃいます。
「その墓石を取りのけなさい」
姉のマルタは猛然と抗議します。 「イエス様。もう弟は臭くなっています。4日も経っているのですから」
そりゃそうです。すべてが手遅れ、今さらどうしようもない。取り返しの付かない弟の死という現実、これが姉たち2人の心を塞いでいた石でした。
イエス様は続いてこう言われます。
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか」
トンネルの工事は大工事です。長いトンネルですと何年も何年も掘り続けます。工事をする人たちにすれば、トンネル工事は掘っても掘っても終わらないのです。でもトンネルは反対側からも掘られています。貫通式は感動的なものです。最後のダイナマイトが爆発すると、穴の向こうに光が見えます。
今私たちが掘っている人生のトンネル、固い岩にぶち当たって跳ね返され、もう無理と思うかもしれません。もう終わったと感じるかもしれません。人生のドン詰まりです。でも神様は向こう側から掘り進めておられます。希望を失ってはならないのです。もしかしたら横の方から突然穴が開いて、まさに神様の栄光を目の当たりにするかもしれません。
旧約聖書の詩篇42篇、43篇で繰り返されているのは、それは「神様には希望がある」ということばです。神様には希望があるのです。自分の心を重たい石で塞いでしまってはならないのです。
( PBA制作「世の光」 2023.10.3でのお話しより )
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