♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■父よ、この杯を / 板倉邦雄

2018年01月30日 | Weblog
2017/12/05放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「父よ、この杯を」という題でお話ししましょう。
 
 杯には祝いの杯と苦難の杯を意味する時があります。イエス・キリストがこれから父なる神様から与えらようとしている杯は苦難の杯だったのです。

 さて、最後の晩餐を弟子たちと終えたイエス様は、祈るために弟子たちと共に出かけました。夜の闇がオリーブ山を包んでいました。いつもの祈りの場所に着いてから、イエス様は弟子たちに言われました。
 「悪魔の誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい。」(参照 マタイ26章41節、マルコ14章38節、ルカ22章40節・46節)

 イエス様は一人、弟子たちと離れた場所へ退いて、崩れるように膝まずき、祈って言われました。
 「父よ、御心ならば、どうぞこの杯をわたしから取りのけてください。しかしわたしの思いではなく御心がなるようにしてください。」(参照 マタイ26章39節、マルコ14章36節、ルカ22章42節)

 この時、天使たちが天から現れてイエス様を力づけた、とルカの福音書は書いてあります。天使たちは「すべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。」とヘブル人への手紙の1章の14節(口語訳)にあります。

 天使の励ましの中でイエス様は苦しみ悶えて、ますます切に祈られました。他の福音書には、イエス様は三度数時間かけて祈った、と書いてあります。イエス様がこれから父なる神様から受け取る杯は、私たち罪人の罪と悪と汚れが盛られていました。その杯を一滴残らず飲み干すことだったのです。ですから、父よ、御心ならばどうかこの杯をわたしから取り除いてください、とイエス様が祈ったのは当然でした。苦しみ悶えながら切に祈り、涙と汗が血の滴るように地に落ちたのです。そして最後に、しかしわたしの思いではなく、父よ、あなたの御心がこの身になりますように、と祈りました。

 さて翻って私たちもこの世で苦難の杯を飲み干さなくてはならない時があります。そのような時、私はイエス様の祈りを思い出し、讃美歌285番を口ずむようにしています。
 「主よ 飲むべき我が杯 選び取りて授けたまえ
  喜びをも悲しみをも 満たしたもうままにぞ 受けん」

 イエス様があなたの罪と苦難と一緒にいてくださるのです。
           
   (PBA制作「世の光」2017.12.05放送でのお話より )

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