♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしのものは全部おまえのものだ / 福井 誠

2018年01月31日 | Weblog
2017/12/06放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしのものは全部おまえのものだ」です。ルカの福音書15章31、32節を読んでみましょう。
 「父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』

今日の箇所は聖書の中でも有名でよく親しまれている放蕩息子の喩えあるいは神の愛の喩えと呼ばれているものの一節ですねえ。少し喩えを説明しましょう。

 ある息子が父に財産を分けてもらって夢を抱いて遠い国へ出かけて行きます。しかし田舎者で世間知らずの彼は、そこで成功するどころか持ち金をすべて使い果たしてしまうのです。人生のどん底にあって彼は我に返り、迷った末、実家に戻って行きます。

 そんな変わり果てた息子が帰って来るのを見つけた父は、叱りつけたり追い返したりするどころか、喜んで家に迎え入れました。ユダヤの法律では、このような放蕩息子は石打ちで処刑されるはずでした。しかしその父親は、助けを求めてきた息子を受け入れます。イエスはこの父親を、罪人を愛される神に喩えています。

 実に愛というものは不合理なものですが、それにしても神は余りにも甘すぎるのではないか、と思う方もおられるでしょう。実際、この息子には兄がいましたが、彼はその父親の愛を受け入れられない思いでいました。彼は弟が遊び暮らしていた間も、家のために一所懸命働く真面目者でした。ですから、帰ってきた弟を受け入れる父に怒りを燃やして、準備された祝宴に加わろうともしなかったのです。落ちぶれてかわいそうな姿になっていたとはいえ、さんざんいい思いをして家の財産の半分を潰したのですから憐れみは不要、簡単に赦してはいけない、という訳ですね。

 しかしお兄さんにも父親は言います。「私の財産はすべてお前のものだ。」と。父親はお兄さんに深い愛情を示し、ちゃんとその気持ちも認めています。しかしその上で悔い改める者にチャンスを惜しまない深い愛情を共に持っていく事を期待していますね。罪の悔い改めだけではない、人格的な成長・成熟を導く神がおられることを知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2017.12.6放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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