goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■復活の意味/関根弘興

2017年04月21日 | Weblog
2017/4/21放送

 世の光の時間です。関根弘興です。今週はイースター・スペシャルをお届けいたします。

 聖書の中心は何か、と問われるならば、イエス・キリストは私たちの罪のために死なれたこと、そして三日目に死から復活されたということ。つまりイエス・キリストの十字架と復活こそが聖書の中心なんです。

 前回は十字架こそ愛の極みであるというお話をいたしました。それではイエス様の復活にはどんな意味があるんでしょう。まずイエス様が語られたことばを紹介いたしましょう。
 ヨハネの福音書11章25節
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 何と大胆なことばでしょう。イエス様は、死んでも生きるいのちがあるのだと語られたんです。つまり私たちのこの肉体のいのちを超えたいのちがあると教えられたんですねえ。そして、イエス様を信じる者にそのいのちが与えられるのだ、と約束なさったんです。
 人はことばだけなら何とでも言うことができます。もしイエス様が十字架につけられ墓に眠ったままなら、なあーんだ、イエスは生前大げさなことを言ってだけど大言壮語も甚だしい。それで終わってしまいますね。しかしイエス様は語られた通りに十字架につけられ、墓に葬られ、三日目に復活なさったのです。ですから復活の事実はイエス様の語られたことばや約束は本当に確かなものだということの保証となるんです。そして死を打ち破るいのちがあるということは、私たちに死を乗り越える希望が豊かに与えられているということを保証するんですね。

 先日、私はある方の臨終を看取りました。癌のために緩和病棟で入院生活をされていた方でした。昨年ご主人を先に亡くし悲しみを抱え、また病の痛みや辛さを抱えながらの入院生活でした。しかしこの方はイエス様を信じ、苦しみの中ではありましたが、決して失われることのない永遠のいのちに生き、天国の希望を見つめながら地上の生涯を閉じられたんです。私はこの方の傍らで、私たちを迎える神様の愛があることを語り、静かに讃美歌を歌いました。そしてこの方は静かに息を引き取られたのです。

 死は悲しみをもたらし、そしてこの肉体のいのちは失われます。でも終わりではありません。イエス様の復活の事実を受け入れることは、永遠を見つめ生きる者とされていくのです。

 (PBA制作「世の光」2017.4.21放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。復活の意味/関根弘興

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする