ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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●「援助職援助論 援助職が〈私〉を語るということ」(吉岡隆編著 明石出版)

2010-12-17 10:52:13 | 本や言葉の紹介
武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
        (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 編著者の吉岡さんはソーシャルワーカーで、カウンセリングや講演会などをおこなっており、最も関心がある領域は依存症で、相互援助グループとの協働がライフワークのテーマだそうです。
 吉岡さんのことばを抜粋してご紹介します(文章の流れは入れ替えています)。
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 共依存症というのは、ひらたく言えば「お世話焼き病」のことである。相手が望んでいるかどうかなどおかまいなしに、お世話に向かって突進してゆく。たとえ相手が望んでいても、お世話しない方が相手のためになるということはいくらでもあるのに、そんなことは共依存症者である僕の考えにはない。調査なし、状況判断なしなのだ。

 共依存症者は、もともとセルフエスティーム(本物のプライド)が低いので、他人から必要とされることを必要としてしまう。そこで相手を強大な力でコントロールするのだ。僕の主観だが、この病気が一番重症なのは援助者だと思う。

 援助者とクライエントとの関係で、そのゴールは何かといえば、援助が必要なくなることである。つまりそのプロセスは、援助が必要な段階から援助が不必要な段階に向かうことになる。
 ところが援助者が共依存症者だったとしたら、どんなことが起きるだろうか。援助が必要な段階から援助が不必要な段階に向かうのではなく、逆に必要とされなくなることを怖れて、エンドレスな関係をつくってしまいかねない。

 共依存症を知るまでの僕は、「誰かの役に立たない自分には価値がない」という誤った信念に縛られてきた。つまり他人の評価に依存した行き方を続けてきたために、高く評価されれば舞い上がり、低く評価されれば一気に墜落するという人生だった。僕に必要だったのは、自分の評価をもつことだったのだ。

 自分のケアをするということは、自分を大切にすることだし、自分を大切にできない人には、他人を大切にすることなどできない。自分のケアをしないということは、自虐行為でもある。
 他人の回復の手助けをしようと思うなら、その前にすべきことは他人の回復の邪魔をしないことである。さらにその前にすべきことが、自分の手入れ、セルフケアなのだ。
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 あとがきに、『知識を集積したり、技術を磨いたりすることはむろん大事なことだが、それ以上に大事なことは援助者がセルフケアに取り組むことなのだ。セルフケアの中軸をなすものは、自分が抱えてきた課題に向き合うことだが、それは「胸襟を開く」ということでもある。自分を語り、自分を明らかにしてゆく作業を通して、それは達成可能となる。』とあります。
 その通りに、10人の執筆者全員が仕事を通して自分を見直し、自分の課題に気がついていくプロセスを率直に語ってくれています。

 書いてくれてありがとう! です。

 援助職を目指しているかたにも、今援助職にあるかたにも、個人として誰かを援助する立場にあるかたにも、読んでいただけたらいいなあ。

 吉岡さんはご自分のブログのエッセイでも、次のように言っています。
 「援助者の大きな役割は、ふたつあります。ひとつはクライエントの回復の邪魔をしないことです。そしてもうひとつは、クライエントの回復の手助けをすることです。回復の手助けどころか、傷をつけないことも容易なことではありません。援助者が自分の課題を知っており、それを解決するための努力をしていなければ、意識せずに傷つけている場面が多々あるに違いありません。援助者にこそセルフケアが必要なゆえんです。」

そうなんですよねえ。