花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

諏訪駅で降りて ③

2022年07月13日 | レモン色の町

昭和30年頃の諏訪駅マップです。新しい路線が点線で記されています。

諏訪駅を出た近鉄線が桑名へ向かう。新しくしかれる線路沿いに立って電車を見る人。やがてここを走ることはなくなる。(四日市の昭和 樹林者刊 門脇篤氏撮影)

昭和31年、完成間近の新駅を上空から撮っています(提供:中日新聞)

諏訪駅ホームから、湯の山方面へ向かう電車が出ていきました。(水谷宜夫さん提供)

平成20年の空撮(提供:中日新聞)

昭和30年頃の諏訪駅から東の街区図(聞き取り結果で、不正確な点あり)

サンシ前から諏訪駅方向にとられた写真。北岡時計店の時計塔がみえます。(四日市の昭和 樹林者刊)

逆方向、諏訪駅東の踏切から東方向を撮った写真(四日市の昭和 樹林者刊 中西秀男氏撮影)

映画の看板が立ちます。“惚れるな弥ん八” あらくれ車夫の意地と友情と恋を描く恋愛活劇篇。小説倶楽部所載の棟田博原作“自雷也太鼓”から「赤線地帯」の成澤昌茂が脚色、「女中さん日記」の村山三男が監督した。撮影は「浅草の灯」の板橋重夫。主な出演者は「滝の白糸(1956)」の菅原謙二、「あさ潮ゆう潮」の船越英二、「祇園の姉妹」の小野道子、「銭形平次捕物控 人肌蜘蛛」の矢島ひろ子、その他見明凡太朗、大泉滉、三島雅夫、三井弘次、村田知英子、浦辺粂子等。

右の映画の看板に“鶴橋鶴次郎”がある。東宝作品だから弥生館と思いきや1938年の封切りである。看板の上に「四日市祭・・」の文字があるところから 祭りのイベントとして上映されたのだろうか?Youtubeで観ることができる。

(137) 『鶴八鶴次郎』(1938年) - YouTube

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諏訪駅で降りて ②

2022年07月11日 | レモン色の町

諏訪駅の正面写真。

もう一枚同じ角度から撮られた昭和27年の諏訪駅。右に立つ森谷タクシーとその上の貴金属らしい看板(時計と指輪)は同じなので数年の誤差しかないと思える。それにしても驚くのは、自転車置き場から構内への出入りが自由だったことだ。まちなかの諏訪駅そのものは、柵がないに等しかったようだ。

構内写真と構内想像図

この写真もどの場所から撮られたのか分からなかった。多くの子供たちが、押し合いへし合い踏切を渡り、構内へなだれ込む。どこへ行くのか?

向こうに見えるのは内部八王子線のホームである。右側に“スワ劇場”の立て看板が見えている。多分、諏訪劇場で子供向け映画が終了して、子供たちがどっと駅構内を横断して北へ抜けていくところと想像した。“東映春の漫画まつり”といったところか?昭和31年の諏訪駅西側の写真が中日新聞に入っていた。この空撮からその謎が解けた、うれしかった。

2022年4月25日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

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諏訪駅で降りて ①

2022年07月10日 | レモン色の町

昭和30年6月8日水曜日、辻俊文さんは愛用のカメラを持って辻写真館を出た。来年(昭和31年9月)には取り壊されるであろう諏訪駅の前に立つと、東の三泗百貨店方向にカメラを構えた。午後3時30分頃、梅雨空の合間から午後の日がさす。小学生は午前事業で目につくが、高校生は帰宅途中だろう。多くの人のにぎわい、日常のゆったりした時が流れる。

正面に映画館の看板があがる。弥生館では、東宝映画を上映中、志村喬の“男ありて”である。

『スパローズの監督 島村(志村喬)は、とにかく野球一筋に生きてきた男。今日も家族の迷惑を考えず、新人ピッチャーの大西(三船敏郎)を下宿させると出かけて行く。今期のスパローズは成績が悪く、島村や主将にとっては悩みの種、そんな中、娘のみち子(岡田茉莉子)が大西と親密になって、一層、島村をいらだたせる。しかし、塁審を殴って1か月の出場停止を食らったことが、彼に妻の苦労を覚らせる機会を与えた・・・。』

一方、諏訪劇場は、路地を南に曲がり“田中医院”前を抜けると右にあった。6月25日(土)からの封切りは菅原謙二主演の大映映画「東京暴力団」だ。

『日本ニュースの記者大村(菅原)は、カメラマンの谷と共に大島三原山に心中未遂事件の取材に出かけた。その帰りの船中で、大島で見かけたアベックの一人 ヒサ子という女性が海に身を投げ自殺する。大村は、ヒサ子の残したバックから、東京で起きた射殺事件の記事を見つけヒサ子の死が怪しいとにらんだ。桟橋に着くと大村らは人相の良くない連中に「深入りするな」と囲まれる。』

旧東海道沿いにあった“諏訪駅”は、利用客の増加に対応するため、昭和17年公園通りの南角、キタオカさんの南側あたりへ移転した。昭和31年9月まであった諏訪駅である。

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昭和少年通信 ⑳ 昭和42年の漫画界

2022年07月08日 | レモン色の町

昭和42年になると、貸本出版社が多く倒産したとあります。マンガの歴史は、我々団塊の世代の歴史と重なります。戦後の貧しい時代、私たちは貸本マンガ店に足しげく通いました。「マンガは子供たちに悪い影響を与える」といわれつつ・・・。やがて、ヒーローの時代となり、付録でパンパンの「少年」や「冒険王」などの月刊誌が発売される月初め(月末?)になると、待ちきれない思いで本屋に詰めかけました。やがて「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」が発売されます。こうして、社会への浸透が進み、漫画が認められる時代になってくると、“良いマンガ”について考えられるようになりました。そうした中でも、少女マンガの善戦が目立ちます。底堅いファンがいたからでしょうか?さて、団塊の世代に合わせるかのように、マンガも少年から青年に、大人にも楽しめるようになりました。十年余の間に、出版業界は怒涛の変化に晒されてきたのです。

「月間漫画ガロ」に連載の白土三平『カムイ伝』が、小学館から単行本(1巻~9巻)として発売されました。江戸期、不合理な身分制度の下でもがき苦しむ登場人物たちの壮大な悲劇ドラマは、当時、マルクス主義に染まっていた学生や知識人の支持を得て、作者の意図を離れ高度なマンガ批評を生むに至りました。

雑誌「美しい十代」などの連載された みつはしちかこ の『小さな恋の物語』が、学習研究社から発売されました。小柄なことを気にする女子高生チッチが、長身でイケメンのサリーに心を寄せるラブストーリーで、ノスタルジックに昔を思い出す女性や中年男性に支持されました。

マンガ家志望の若者の青春期の苦悩を、シリアスかつロマンティックに描いた永島慎二の『漫画家残酷物語』は、「青春劇画」と称され、都会的でお洒落な画風によって若者を惹きつけ、当時の大学生に大きな影響を与えました。(わたくしもせっせと読みふけったものでした)

東海林さだおの『新漫画文学全集』は、それまでの子供マンガの世界に対して「子供」のようなせこくて不真面目な主人公を登場させ「大人漫画」を確立しました。

虫プロから「まんがエリートのためのまんが専門誌」として『COM』が発売され「ガロ」と並んで人気を得ました。執筆は、岡田史子、竹宮恵子、日野日出志、諸星大二郎、あだち充、西岸良平らがいます。

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昭和少年通信 ⑲ 昭和41年の漫画界

2022年07月06日 | レモン色の町

昭和41年2月4日、全日空のボーイング727型機が、羽田空港沖で墜落、133人全員が死亡する惨事が起こりました。お正月から「ウルトラQ」が、5月4日にはフジテレビで、長寿番組となる大川橋蔵の「銭形平次」が始まっています。6月29日にはビートルズが来日していますね。7月17日には、ウルトラQにつづき、TBS系でウルトラシリーズとして「ウルトラマン」が始まりました。「日曜洋画劇場」が始まったのは10月1日から、これも長寿番組となっています。10月28日には「週刊プレーボーイ」が創刊されました。女性の体で動物の形を表現していたりして、気になる表紙でした。

四日市では、伊坂ダムが完成し、三滝通りに慈善橋が出来ています。

漫画界では『巨人の星』が「少年マガジン」に登場しました。

テーマ曲が聞こえてきそうです

貸本業界で『忍者武芸帖』を描いていた白土三平は、昭和36年から月刊雑誌「少年」に『サスケ』を発表、集英社から全15巻で発売されました。今まで描かれていたヒーローものの時代劇と異なり「忍術は魔法ではなく、技術であり知識であることを教えた白土忍者マンガは、子供たちにリアルなヒーローの道を教えました」(別冊太陽 子どもの昭和史より)。

独創的な世界を出現させた、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』は、「墓場の鬼太郎」から脱皮、日本の伝統的妖怪に愛嬌あるイメージを加え、ねずみ男や目玉おやじが活躍するコミカルな作風を確立しました。

当時映画界で大ヒットしていた007シリーズを、さいとうたかおが劇画として発表、その第1作が『死ぬのは奴らだ』でした。漫画界にも新書版刊行が始まりました。

「週刊平凡」に連載された“風刺四コマ漫画”、鈴木義司の『俺はジャマスケ』

鈴木義司「コーフン☆カンゲキ全集」、加藤芳郎「オンボロ人生」「オジサマ大名」、富永一郎「せっかちネェヤ」、サトウサンペイ「スカタンCOとランチ君」、馬場のぼる「ろくさん天国」などが出版され、戦後の「漫画集団」を中心とした「大人漫画」のピークを迎えたのもこの頃でした。

<余談>これは何度観ても面白い・・・

(130) コントレオナルド 風見鶏(名人劇場 昭和58年) - YouTube

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昭和少年通信 ⑱ 昭和40年の漫画界

2022年07月05日 | レモン色の町

昭和40年はどんな年だったでしょうか?

2月 大塚製薬が“オロナミンC ”を発売

2月 アメリカが北ベトナムへの爆撃開始

2月 黒人指導者 マルコムⅩ 暗殺

3月 にんべんが“つゆの素”を、資生堂が“サンオイル”、日産自動車が“シルビア”、麒麟麦酒が“プルトップ缶ビール”を発売(プルトップの栓だけが やたら自販機前に散らばっていましたっけ)

4月 サトウサンペイの「フジ三太郎」の朝日新聞夕刊で連載開始。

4月 アメリカの北爆に反対し、小田実らが“べ平連”を結成

5月 フジテレビが「小川宏ショー」の放送開始

7月 名神高速道路全線開通

8月 藤子不二雄の「オバケのQ太郎」、TBSで放送開始

10月 日本初のカラーテレビアニメ「ジャングル大帝」が放映開始

11月 中国で文化大革命起こる

11月 フィリピンでマルコス大統領就任

12月 名阪国道開通

楳図かずおは「週刊少女フレンド」に『ねこ目の少女』を連載しました。夜になると蛇に変身する義理の母に襲われるという民話からヒントを得て、無垢な美少女と不気味な異形とを対比する、美と恐怖の少女ホラーマンガのスタイルを確立した作品でした。、この後、「ママがこわい」「まだらの少女」「紅クモ」を連発、一方、古賀真一は「白へび館」「白へびの恐怖」を描いて、少女マンガの怪奇漫画ブームを生み出しました。

お父さんが二人おるのか?と思い、読み返しました

木内千鶴子の『はぐれ鳥泣きぬれて』は、読者の体験をもとに描かれた“長編実話シリーズ”の7巻目。父を亡くし、母との貧しい生活を避けるため祖父母のもとへ行くが、まったく優遇されずにつらい日々を送る。主人公の少女が盗みを働くなど、当時の状況をリアルに描かれている。

おかゆ が出てきます

孫は可愛いはずが?

関谷ひさしが描いた『ストップにいちゃん』は雑誌「少年」に昭和37年から43年にわたって連載された。中学3年生のスポーツ万能少年を主人公とするユーモア学園マンガで、当初はスポーツ熱血モノの様相を呈していたが、次第にギャグ的要素が増えていった。この時期の“学園もの”マンガの流行を牽引した。

動物を用いて世相をソフトに風刺した、和田義三著の『鳥獣私語』は、自費出版した本で、正統派の良き漫画を目指しています。

石森章太郎は『少年のためのマンガ入門』で、漫画の描き方のみならず、自らの投稿時代からトキワ荘時代までの体験談を描きました。こうした意味でも、自伝的マンガ、マンガが歴史や時事問題をノンフィクションとしても また、語る手段としても有効であることを示した本です。

明るく健康的な「青春」を描いた「学園青春マンガ」は、大手出版社の重要なテーマとなっていきます。佐藤プロの『17才』創刊

17才・・・反抗期ですね表紙の絵のわりに 中身は 面白そう・・・

さいとうプロは、『ガール・ガールミステリー』を創刊しています。

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昭和少年通信 ⑰ 昭和39年の漫画界

2022年07月04日 | レモン色の町

戦後の高度経済成長期は、昭和29年から田中角栄第二次内閣の昭和48年までといわれています。まさに、昭和39年は、高度成長真っ盛りといえます。そうです、この年10月、新幹線東京大坂間が開通し、東京オリンピックが開催された年でした。まだカラーテレビは珍しかった時代でした。四日市では、伊勢湾台風で消滅していた“四日市まつり”が、8月1日の“港まつり”をバージョンアップさせて開かれました。以降、“大四日市まつり”は8月の第1土曜と日曜日になり、9月の諏訪神社のお祭りは商店街が“秋の四日市まつり”として開かれるまでは、神事のみとなっていました。

ひばり書房から出た“山本まさはるシリーズ”は、全40巻を刊行するヒット作となりました。お人好しで正直者の中村正を主人公に、昭和40年頃の中学生、つまり戦争を知らない戦後世代の平和で素朴な学園生活が、感受性豊かに表現されていて、後の“学園もの”に影響を与えました。

矢代まさこの『孤島の夢路』は、若木書房から刊行された“ようこシリーズ”の第1話。このシリーズは27巻まで続き、1冊完結ですべての主人公の名が“ようこ”になっています。さまざまな“制度化されていない”人間としての少女を主人公に、コメディ、ファンタジー、ロマンスなどあらゆるジャンルが描かれていて、「別冊太陽」では“少女マンガの実験場”と評されていました。

佐藤まさあきがプロダクションを設立、創刊した少女貸本マンガ誌『花』は、衰退していく貸本マンガ界の中にあって、個人の出版社が発刊しました。

辰巳ヨシヒロも「第一プロ」を立ち上げ貸本出版で『青春』を創刊しました。

貸本出版社を営んでいた長井勝一が『月間ガロ』を創刊、白土三平を中心に貸本マンガ家に活躍の場を提供するため発刊しました。「ガロ系」の執筆者として、佐々木マキ、滝田ゆう、つげ義春、林静一、永島慎二らが活躍しています。これから、漫画界は『ガロ』と『COM』の時代へと移っていきます。

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閑話休題 エリアプラットホーム事業

2022年07月02日 | おいらの商店街

四日市市では、2027年に向けて、駅前中央通り再編計画が進められています。駅前にバスターミナルをつくり、JR四日市駅までの中央通りを、市民が憩いを求めて集まるウォーカブルな空間にしようという計画です。しかし、中央通りが良くなっても、その後背地にあたる商店街を含めた諏訪栄・諏訪地域がそのままでは、一発花火で終わってしまいます。これにあわせて、行政、住民、来街者、商業者(そして、企業)が一体となった街づくりが大切になってくる訳です。

ということで、中央通りから諏訪神社までの、スワ栄と表参道スワマエを一括りとして「東海道で なんかやろうぜ!良くしようぜ!」ということになりました。第1回の集まりは、6月23日に開催されました。

ここで他都市の例をみながら、さて、これからの東海道に必要な言葉は?を探りました。強引にまとめた七つのキーワードです。

何か、ピントがぼやけてしまったようですが、次回のワークショップでは、地元への絞り込みに挑戦したいと思います。従来の策定事業は、ほとんどが企画倒れでした。今回は、実施に向けて進んでいきたいですニャ!

良いご提案がありましたらコメントにて・・・。

 

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