一条さゆりさんが、公然わいせつで捕まった時(昭和47年)、の供述調書に四日市のストリップ劇場のことが書かれていました。小沢昭一座談③まじめに本邦ストリップ考 より
マジメに図書館の本です
「昭和43年ころ、四日市のストリップ劇場 別世界に出演しておる時、わたくしの所属しておるヌード雑誌社○○○○で働いておる東山さんという、年齢34、5才、丈1.7メートル位、体格が良く太った男に出会い「専属にならないか?」と誘われました。踊り子はどこかのプロダクションに所属していて、出演料や(全国を回る)コースを決めてもらい出演するというしきたりになっておりました。それ以後 現在まで東山さんの世話になっておるのです」供述書らしい文言です
別世界があった所
昭和43年のゼンリンマップより
一条さゆりさんは、昭和47年5月1日~10日までの予定で、大阪の吉野ミュージックで出演していたが、7日大阪府の手入れで11人の踊り子と共に“公然わいせつ罪”で逮捕され、以後2年8か月の間 裁判で争った。その後大阪の西成区ですし屋を経営、男性関係で苦労した後、平成9年8月3日、肝硬変のため死去された。
小沢昭一氏は、一条さゆりさんに関して、こう書いてみえます。
「いま、ヌードの小屋は全国津々浦々ほんとうに沢山あります。(略)ピンからキリまで・・・などといいますが、トクにダス人達の中にもピンからキリまであるわけで、ピンは客の好奇心や助平心を満たすだけでなく、トクにダシながら、“つくす”女の優しさ、美しさ、そして悲しさを表現して客の心を揺り動かしました。つまり、そこには皆さん大好きの 〽ほんとに優しい お母さんや、〽愚痴も言わずに つくしきるおねェさんがあって、客はナカずにはいられなかったのです。かといって、私はトクにダス行為を「ワイセツ」だと思っております。
けれどもピンのやるワイセツは、芸術とやらに負けずに、いや、それ以上に、人の心にくい入り、ゆさぶり、感銘を与えて、或る時は、人の心を洗い、浄化することさえあったのです。」
今、一条さゆりさんについては、往年の日活ロマンポルノ 神代辰巳監督「一条さゆり 濡れた欲情」昭和47年作品(小沢昭一氏も出演) でしか観ることはできませんし、そこまでする気もありません。ご冥福を祈ります・・・