花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

諏訪驛に沿って

2018年05月06日 | レモン色の町

大正15年発行の『大日本職業別明細図之内(三重県)』のコピーを本町のMさんからいただいた。これを見ると旧東海道を挟んで、三重軌道の『すはまえ』駅と四日市鉄道の『すは』駅が別々にある。一つの駅に並列していたのではなかったか?

大正11年のマップには、諏訪驛から東海道をまたいだ西に『四日市鉄道諏訪驛』と『三重軌道諏訪驛』と載っている。一駅に集結するのは、伊勢電鉄が取って代わった昭和3年か?

ここで諏訪驛を軸にした歴史を復習する。

明治22年 関西(かんせい)鉄道の四日市駅完成(現在のJR四日市駅・注 東口)

明治40年 関西鉄道 国有化(国鉄となる)

明治43年 三重軌道(内部・八王子線)創立

明治44年 四日市鉄道㈱(湯の山線)浜田に創立・伊勢鉄道㈱(後の近鉄線)設立

大正 4年 三重軌道 四日市~八王子駅間開通

大正 5年 諏訪駅を三重軌道と四日市鉄道が並行して走る(昭和3年廃止)

大正11年 四日市西駅開設(入口が北側・本町側)

      三重鉄道(三重軌道改名) 日永~内部間開通

昭和 3年 伊勢電鉄(近鉄名古屋線) 桑名~四日市間開通

昭和31年 近鉄新路線(短絡化・諏訪駅の廃止)・近鉄四日市駅完成

※ 四日市祭りの練は、どうやって旧道の踏切をくぐったか?謎が解けるのは連休明けになりそうでゴザイマス

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‟諏訪駅を降りて”

2018年05月05日 | レモン色の町

すわまえハッピースペース角の辻さんの写真展が好評で、多くの方が関心を寄せていただいています。そこで、とんでもないことを思いつきまして、お話をさせていただくことになりました。内容は勉強中。皆様からの疑問やヒントをいただかなくてはなりません。

辻さんの残された写真のおかげです。感謝!

 

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動く諏訪駅の謎

2018年05月04日 | レモン色の町

大正11年の地図を見ていて「おやっ?」と思った。戦前の諏訪驛は旧東海道沿いにあったはずなのに(戦後は、1番街の北岡さんとパチンコホームランさんの間にあった)、この地図だと現在の1号線のあたりに位置する。地図会社が間違えるはずはない。なーんでか?

謎は椙山満氏監修の『四日市の100年』で解けた。写真ばかり見てないで、文章も読んでみるものである。

 諏訪駅は、四日市西駅を出た伊勢電鉄が一番最初に停車する駅であった。ここから湯の山行きの四日市鉄道と内部・八王子行きの三重鉄道がそれぞれ伸びていたが、四日市鉄道はやがて三重鉄道に合併された。戦時下の昭和17年頃から昇降客が激増し、大変混雑するようになったが、ホームの延長ができなかったため、これより数十メートル西寄りにあった貨物駅の構内を利用して相対式ホームの駅に改造された。

 諏訪駅は西へ西へと動いていったことになる。戦後の諏訪駅あたりから西へ、三重鉄道と四日市鉄道の社屋が建つ。昭和31年、駅が取り壊された後に、荒涼とした風景が広がっていたのも、社屋を利用しての土地だったのだろう。

ところで、四日市祭りの練(ねり)は、諏訪神社から旧東海道沿いに南へ進み浜田でユーターンした。この時、伊勢電鉄が通る諏訪の踏切を横断したはずである。架線の下をどう潜り抜けていたのか?(本町のT様からのお題です)また眠れない夜が続きます・・・。

 

昭和5年頃、伊勢電鉄本社ビル(現在の本町プラザ)より南東を望む。四日市駅を出た桑名行き電車は、四日市西駅(写真中央の三角屋根)を右に見て急カーブを描き、善光寺の山門前(写真右端)を通過して諏訪駅を目指す。線路伝いに電柱が立つ。

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『電光石火の男』の謎 その2

2018年05月02日 | レモン色の町

昔の近鉄揖斐川長良川橋梁 (伊勢生まれの下総人)2018-04-13さんのコメントより

昔々、近鉄の揖斐川長良川橋梁は単線だった。そして、多分木曽川橋梁も。幼い頃、長島の辺りだったのであろうか、対抗列車との交換待ちで待たされた記憶がある。何ゆえに単線だったのか?
答えは旧関西鉄道の橋梁を使っていたため。国鉄の時代か、鐵道省の時代かは判らないが、軌道強化のため、新しい橋梁を造り、旧関西鉄道から引き継いだ橋梁が不要になり、その払い下げを近鉄が受けたようである。

映画『電光石火の男』の冒頭シーンで、赤木圭一郎が四日市へ帰ってくる場面がある。夜の関西線をSLが走る。

 

加太トンネル(単線)をくぐり揖斐・長良・木曽川鉄橋を渡る。いったいどこを走ってるんだと言いたくなる。どちらも線路を伸ばすのに苦労したところである。言いたかったことはそれか?(当時、両か所は完成して半世紀近くたっているのに・・・)

 

昭和35年の時の関西本線、木曽川鉄橋も単線である。おそらく、対抗列車と鉢合わせするときは待機していたと想像される。(右を通るのが近鉄名古屋線橋梁か?)

下総人さん、ありがとうございました

そして、先日掲載の大正11年8月の市内地図。よく見ると、諏訪駅が動いていることに気が付いた。つづく

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朔日恵比寿と本浦農園

2018年05月01日 | おいらの商店街

本日朔日恵比寿。お天気に恵まれました。今回から本浦農園さんの無農薬、有機栽培野菜の復活です。

やまぶき、ブロッコリー、ネギ、サニーレタス、スナックエンドウ、えんどう、春キャベツ、新玉ねぎと魅力ある野菜が並びました。5月です。

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