花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

動く諏訪駅の謎

2018年05月04日 | レモン色の町

大正11年の地図を見ていて「おやっ?」と思った。戦前の諏訪驛は旧東海道沿いにあったはずなのに(戦後は、1番街の北岡さんとパチンコホームランさんの間にあった)、この地図だと現在の1号線のあたりに位置する。地図会社が間違えるはずはない。なーんでか?

謎は椙山満氏監修の『四日市の100年』で解けた。写真ばかり見てないで、文章も読んでみるものである。

 諏訪駅は、四日市西駅を出た伊勢電鉄が一番最初に停車する駅であった。ここから湯の山行きの四日市鉄道と内部・八王子行きの三重鉄道がそれぞれ伸びていたが、四日市鉄道はやがて三重鉄道に合併された。戦時下の昭和17年頃から昇降客が激増し、大変混雑するようになったが、ホームの延長ができなかったため、これより数十メートル西寄りにあった貨物駅の構内を利用して相対式ホームの駅に改造された。

 諏訪駅は西へ西へと動いていったことになる。戦後の諏訪駅あたりから西へ、三重鉄道と四日市鉄道の社屋が建つ。昭和31年、駅が取り壊された後に、荒涼とした風景が広がっていたのも、社屋を利用しての土地だったのだろう。

ところで、四日市祭りの練(ねり)は、諏訪神社から旧東海道沿いに南へ進み浜田でユーターンした。この時、伊勢電鉄が通る諏訪の踏切を横断したはずである。架線の下をどう潜り抜けていたのか?(本町のT様からのお題です)また眠れない夜が続きます・・・。

 

昭和5年頃、伊勢電鉄本社ビル(現在の本町プラザ)より南東を望む。四日市駅を出た桑名行き電車は、四日市西駅(写真中央の三角屋根)を右に見て急カーブを描き、善光寺の山門前(写真右端)を通過して諏訪駅を目指す。線路伝いに電柱が立つ。

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